重要な意思決定
関東大震災で工場を消失
背景
関東大震災で妻子と工場と特許のすべてを失う
1923年9月1日、関東大震災が発生した。早川徳次は無事であったが、妻子は火災に巻き込まれて命を落とした。東京本所に集約していた工場は全壊し、200名規模に成長した製造体制は一瞬にして崩壊した。11年をかけて築き上げた事業基盤と家族を、同時に失うという壊滅的な被害であった。
震災から1か月後の10月、販売先であった日本文具製造から借入金の返済を求められた。工場が全壊した状況では返済の見込みが立たず、早川は事業そのものを日本文具製造に譲渡する決断を迫られた。この際、シャープペンシルの特許も無償で譲渡しており、主力製品の知的財産とロイヤリティ収入の双方を手放すこととなった。
決断
大阪への転居と技術者としての再出発
1923年12月、早川は大阪に転居し、日本文具製造においてシャープペンシル製造の技術指導に従事した。事業の譲渡先で技術を教えるという立場は、かつての経営者にとっては屈辱的ともいえる状況であったが、早川にはこの時点で他の選択肢がなかった。技術指導の契約は1924年8月に満了し、早川は日本文具製造を退職した。
東京での事業基盤をすべて失った早川が、大阪の地で再び事業を興すことになる。関東大震災による壊滅的な被害は、結果として早川を東京から大阪へ移動させ、後のシャープが関西を拠点とする電機メーカーとなる地理的な起点をつくった。創業の地・東京ではなく大阪に本社を置くシャープの歴史は、この震災によって方向づけられた。