重要な意思決定
19547月

総合家電メーカーを志向

背景

テレビのシェア陥落と系列販売店の経営維持という二重の課題

1950年代前半、シャープは白黒テレビの量産投資に経営資源を集中しており、冷蔵庫・洗濯機といった白物家電への投資は後手に回っていた。1956年以降、松下電器が量産体制を本格化させたことでテレビの国内シェア1位は陥落し、テレビ単品メーカーとしての成長に限界が見え始めた。

さらに、シャープがテレビ販売を通じて系列化を進めていた小売店の経営維持も課題であった。テレビ単体では販売店の売上が限られるため、冷蔵庫や洗濯機を含めた家電製品全般を取り扱えなければ系列店の維持が困難であった。テレビ市場での競争力低下と販売網の維持という二重の課題が、事業構造の転換を迫っていた。

決断

総合家電メーカーへの転換と量産工場の連続新設

1957年、シャープは「総合家電メーカーとして発展」する経営方針を策定した。テレビ・冷蔵庫・洗濯機という「三種の神器」を系列店で一括販売する体制を構築し、テレビ専業メーカーから総合家電メーカーへの脱皮を図った。この方針は、製品ラインアップの拡充と販売網の維持を同時に実現する戦略であった。

生産面では、1957年に平野第2工場を新設して洗濯機の量産を開始し、1959年には八尾工場(白物家電)、奈良工場(部品生産)を相次いで新設した。わずか3年間で3つの工場を立ち上げるという急速な設備投資により、総合家電メーカーとしての生産基盤を整えた。テレビで先行参入の優位を失ったシャープが、製品の多角化によって大手メーカーとの競争に対抗しようとした判断であった。