井深大

ソニー・元取締役社長

Ibuka Masaru(敬称略)

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社長就任 1950年5月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1946年5月、東京通信工業の設立に専務取締役として加わり、1950年5月に取締役社長へ就任した。当初の商品は測定器だったが、大手が手がけず自社の技術を生かせる領域としてテープレコーダーを選び、1949年に磁気テープと録音機の試作に成功している。技術者の出自が事業選択にそのまま出ている。1955年10月期の大株主上位10位には盛田合資が筆頭、盛田昭夫氏が3位で並び、井深氏自身は9位にとどまる。創業者ではあるが、持株では盛田家の側が上回っていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

初代社長は元文部大臣の前田多門氏で、井深氏は設立から4年間を専務取締役として実務を担ったのち、1950年5月に社長へ移った。就任した1950年10月期の売上高は0.9億円、従業員は114人で、まだ町工場の規模を出ていない。同じ年に安立電気と日本電気から高周波バイアス法の特許を25万円で取得してテープレコーダー市場へ参入しており、この特許は1960年まで有効で大手3社の参入を10年にわたって封じる盾になった。社長に就任したのは、事業をテープレコーダーひとつに定めて量産へ踏み出す時期にあたる。

在任中の主な施策
施策

1952年2月の初訪米でトランジスタの特許ライセンスを知り、反対する通商産業省を説いて1954年1月末に導入許可を得た。1955年8月に日本初のトランジスタラジオを発売し、1957年には世界初のポケッタブルラジオを市販、盛田昭夫氏の渡米と自社ブランド"SONY"での輸出につないだ。1958年に社名をソニーへ改め東証へ上場。総合電機へは広げず、1961年導入のクロマトロン方式が歩留まり1割未満で行き詰まった後も自社方式を貫き、1968年4月にトリニトロンを発表した。 井深・盛田両氏が創業

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1946〜1976年
在任中の業績
就任前(FY49)1億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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