ソニーの前身は、1945年10月に元海軍技術者の井深大氏が旧日本測定器の同志約20人[1]と、東京・日本橋の白木屋百貨店の一隅で電気通信機と測定器の研究製作を始めた東京通信研究所である。製品が運輸省や逓信省に採用されて受注が伸び、1946年5月、酒造家の息子である盛田昭夫氏も加わって資本金19万円[2]・従業員20人余りで東京通信工業株式会社を設立した。元文部大臣の前田多門氏を形式上の社長に、帝国銀行元頭取の万代順四郎氏を相談役[3]に迎えて信用力を借りたが、技術力だけで大手に伍するのは難しく、同社が最初に掴んだ武器は特許という参入障壁だった。
同社は当初、真空管電圧計などの測定器を手がけていたが、大手がやらず自社の技術を生かせる商品としてテープレコーダーの開発を選び、1949年に磁気テープと録音機の試作に成功[4]した。1950年、井深氏は安立電気と日本電気から高周波バイアス法の特許を25万円で取得[5]し、テープレコーダー市場に参入した。この特許は1960年まで有効[6]であり、東芝・日立製作所・松下電器産業が同市場へ参入するのを事実上10年にわたって封じる盾になった。1951年10月期には売上高1億200万円を計上し、資本金を2,000万円へ積み増して[7]本社工場の隣接地を取得した。1959年8月には『中小企業のチャンピオン・技術革新の波にのったソニー』[引用元][8]『同社は13年前、どこにでもある小さな町工場から、いま従業員2000人を数える会社にのしあがった』[引用元]と報じられ、戦後ベンチャーの代表格として扱われた。
1952年2月、井深氏は初めて渡米し[9]、ウェスタン・エレクトリック社がトランジスタの特許を900万円でライセンスすると聞いて交渉に入った。当時の東京通信工業は従業員120人ほどで、技術者が3分の1以上[10]を占めていた。井深氏はのちに『テープレコーダはそれほど奥深い技術とは思えず、大勢の技術者をその後どうしようかと困っていた。一方、トランジスタは、これは相当に難しそうだ』[引用元](技術開発の昭和史 1986)と、難度の高さこそが導入の動機だったと明かしている。ところが通商産業省は『トランジスタラジオの開発など小さな町工場にそんな大それたことができるものか』[引用元]と取り合わず、許可が下りたのは1954年1月末[11]だった。米国のリージェンシーが1954年末に先に市販[12]し、日本初のトランジスタラジオ『TR-55』の発売は1955年8月[13]となった。
最初のラジオは1台18,900円[14]で、当時流行のミニチュア管ポータブルラジオと比べて小さいともいえず、国内での販売は伸び悩んだ。井深氏はポケットに入る大きさを目標に据え、ミツミ電機やフォスター電機を訪ねて小型のスピーカー・コンデンサー・トランスを新たに作らせ[15]、電池まで専用の6ボルト品を用意させて1957年に世界初のポケッタブルラジオを市販[16]した。盛田昭夫氏は家族を伴いニューヨークへ移り、米国大手流通からのOEM供給の申し出を断って自社ブランド『SONY』[17]での輸出に賭けた。当時の日本メーカーは米企業の下請けとして輸出するのが常道[18]であり、無名のまま自社の名で売る選択は異例である。1958年1月に社名をソニー株式会社へ改め、同年12月に東京証券取引所へ上場[19]した。
同社は総合電機への拡大を採らず、常務の吉井陛氏は1966年10月の講演で『間口を広くすれば技術の集中度において欠けるところが出て来ます』[引用元]と述べ、専業を貫く理由を技術の集中度に置いている。カラーテレビでは1961年3月に井深氏が米国の学会で見たパラマウントのクロマトロン方式[20]を導入したが、量産の歩留まりは1割に満たず、1台あたり10万円の赤字[21]を出した。RCAのシャドウマスク方式へ乗り換えれば技術の看板[22]が傷つき、開発を率いた吉田進氏は宮岡千里氏に一本の電子銃から三つの電子ビームを水平に出す構造を求め[23]た。1966年末に電子銃の原型ができ[24]、大越明男氏がアパーチャ・グリルを1967年夏に仕上げ、着想から6年を経た1968年4月[25]にトリニトロンを発表している。
1970年3月、吉井氏はトリニトロンの量産に向けて200億円の設備投資を決めた[26]と明かし、これを『昭和43年まで過去23年間の投資累計額に匹敵する』[引用元]規模と説明した。同じ講演で輸出が総売上の60%、うち米国向けが37%[27]を占めることを示している。外国人の持株は2,450万株・32.14%[28]に達し、当時の許容枠33%にほぼ届いていた。1961年6月のADR発行以来、同社は時価発行で資金を集め、無償交付は累計で総発行株数の44.4%にあたる3,560万株[29]へ及んだ。1979年に発売した携帯型再生機ウォークマンは世界で大きく売れ[30]、盛田氏はのちに家電の条件を『商品というものは、素人の人が喜んで使えるものでなきゃ、本物じゃない』[引用元]と語っている。
1979年8月、米プルデンシャル生命保険との合弁でソニー・プルーデンシャル生命保険を設立[31]し、出資比率50%でエレクトロニクスとは無縁に見える金融事業へ参入した。同社は1991年4月にソニー生命保険へ商号を改め、1996年3月に完全子会社[32]となっている。機器の販売に収益が偏る構造を補うこの事業は、のちに設立されるソニー銀行やソニー損害保険とあわせてグループの一角[33]を占めた。2004年4月にはこれらを束ねる持株会社ソニーフィナンシャルホールディングスが設立され[34]、2007年10月に東京証券取引所市場第一部へ上場している。本業のエレクトロニクスが振れるなかで金融は安定した収益を供給し、2020年3月期の営業利益は1,296億円[35]に達した。
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|---|---|---|---|---|
| 1946〜1979年特許とブランドで世界市場を切り拓いた技術ベンチャー | ソニー創業——井深大氏と盛田昭夫氏が資本金19万円で興した「理想工場」 1946年5月、元海軍技術者の井深大氏と海軍研究で知己を得た盛田昭夫氏が、東京・日本橋の白木屋百貨店3階を間借りした作業場で、資本金19万円・従業員20人余りの東京通信工業株式会社を設立した創業。元文部大臣・前田多門氏を初代社長に据え、設立趣意書に技術者が思いきり働ける理想工場の建設を掲げた。 詳細を読む | |||
| 井深大氏らが疎開工場を捨て、資本金19万円で東京通信工業を設立 1946年5月、井深大氏が資本金19万円で東京通信工業株式会社を設立した創業。前年8月の敗戦で軍需を失った日本測定器の幹部が、長野・須坂の疎開工場に残る案と東京へ出る案に分かれるなか、井深氏は7人の同志とともに小林恵吾氏らとたもとをわかち、日本橋・白木屋百貨店3階を間借りして東京通信研究所を開いた。その法人化にあたる。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 本社・工場を品川区に移転 | ★ | |||
| 井深大 | 東京店頭市場に株式公開 | ★ | ||
| 井深大 | トランジスタ技術の導入と自社ブランド「SONY」による米国輸出 1954年にトランジスタ製造特許を導入し、1955年に日本初のトランジスタラジオを世に出した東京通信工業が、米国輸出にあたって大手流通からのOEM(相手先ブランド)供給を断り、自社ブランド『SONY』での販売を貫いた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 井深大 | 社名をソニーに変更 | ★ | ||
| 井深大 | 東京証券取引所に上場 | ★ | ||
| 井深大 | Sony Corporation of Americaを設立 | ★ | ||
| 井深大 | ADR(米国預託証券)を発行 | ★ | ||
| 井深大 | CBS Inc.との合弁でシービーエス・ソニーレコードを設立 | ★★ | ||
| 井深大 | ニューヨーク証券取引所に上場 | ★ | ||
| 岩間和夫 | ソニー・プルーデンシャル生命保険を設立 | ★ | ||
| 1980〜2011年ハードとソフトの融合を掲げた買収戦略とその長い代償 | 大賀典雄 | ソニーマグネスケールの株式を東京証券取引所二部に上場 | ★ | |
| 大賀典雄 | ソニーケミカルの株式を東京証券取引所二部に上場 | ★ | ||
| 大賀典雄 | CBS Records Inc.を買収 | ★★ | ||
| 大賀典雄 | CBSレコードとコロンビア映画の連続買収──ハードとソフトの垂直統合 1988年から89年にかけて、ソニーが盛田昭夫会長・大賀典雄社長の主導で米CBSレコードとコロンビア・ピクチャーズを相次いで買収し、機器(ハード)とコンテンツ(ソフト)を自社で握る垂直統合に踏み込んだ経営判断。2年でおよそ60億ドルをハリウッドに投じた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 大賀典雄 | PlayStation参入と家庭用ゲーム市場への進出 1994年12月、ソニーは家庭用ゲーム機『PlayStation』を国内で発売し、任天堂とセガが分け合っていたゲーム市場へ参入した。前年11月に子会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を設立し、久夛良木健が開発を主導、大賀典雄社長が単独参入を決めた経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 大賀典雄 | カンパニー制を導入 | ★ | ||
| 出井伸之 | Sony/ATV Music Publishing LLCを設立 | ★ | ||
| 出井伸之 | 執行役員制を導入 | ★ | ||
| 出井伸之 | ネットワークカンパニー制を導入 | ★ | ||
| 安藤国威 | エリクソンとの携帯電話合弁「ソニー・エリクソン」の設立と、赤字下の追加出資による事業継続 2001年10月、ソニーとスウェーデンのエリクソンが携帯電話端末事業を統合し、折半出資の合弁会社ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズを設立した経営判断。発足後は世界市場の低迷で赤字が続き提携解消の観測も出たが、2003年1月に両社が計3億ユーロの追加増資を発表し、事業継続を資本で裏づけた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 安藤国威 | Samsung Electronicsと合弁S-LCD Corporationを設立 | ★ | ||
| 安藤国威 | Bertelsmann AGと合弁SONY BMG MUSIC ENTERTAINMENTを設立 | ★ | ||
| 中鉢良治 | ハワード・ストリンガーがCEOに就任 | ★ | ||
| 中鉢良治 | 初の営業赤字・純損失を計上 | ★★ | ||
| 2012〜2026年不採算事業の売却、純粋持株会社体制の完成、そして金融の分離 | ハワード・ストリンガー | 過去最大の純損失を計上 | ★★ | |
| 平井一夫 | 平井一夫氏が社長兼CEOに就任 | ★ | ||
| 平井一夫 | 平井一夫氏の選択と集中とVAIO・電池事業の譲渡 2012年から2018年にかけて、社長兼CEOの平井一夫氏がテレビ・携帯・PC・電池の同時不振に陥ったソニーで進めた構造改革。VAIOのPC事業とリチウムイオン電池事業を、工場を閉じるのではなく製造拠点と雇用ごと他社へ譲渡し、PlayStation・イメージセンサー・音楽・映画・金融の五領域へ経営資源を集中させた。過去最大の純損失から2018年3月期の20年ぶりの営業最高益へ転じた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 平井一夫 | 電池事業を村田製作所グループへ譲渡 | ★ | ||
| 吉田憲一郎 | 吉田憲一郎氏が社長兼CEOに就任 | ★ | ||
| 吉田憲一郎 | 半導体事業の分離・上場要求を拒否 | ★★★ | ||
| 吉田憲一郎 | 金融事業ソニーフィナンシャルの完全子会社化(約4,000億円のTOB) 2020年5月19日、ソニーが上場子会社ソニーフィナンシャルホールディングス(証券コード8729)を約4,000億円かけて完全子会社化すると発表した経営判断。1株2,600円で公開買付けを実施して65.04%の持ち株比率を引き上げ、9月2日付で完全子会社化を完了した。吉田憲一郎社長兼CEOが金融をエレクトロニクス・エンタテインメントと並ぶコア事業と位置づけ、逆に取り込む選択であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 吉田憲一郎 | 吉田憲一郎氏のパーパス経営と純粋持株会社体制への移行 2018年に社長兼CEOへ就いたCFO出身の吉田憲一郎氏が、創業者の求心力に頼る経営を『存在意義(パーパス)』を共通の言葉に置く経営へ改め、金融の完全子会社化を経て2021年に純粋持株会社体制へ移り、社名をソニーグループ株式会社に変えた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 吉田憲一郎 | Bungie, Inc.を買収 | ★ | ||
| 吉田憲一郎 | ホンダとのEV合弁ソニー・ホンダモビリティ設立──スマホの次の成長軸としてのモビリティー参入 2022年3月4日、ソニーグループとホンダがモビリティ領域での戦略的な提携協議に合意し、同年9月に折半出資の合弁会社ソニー・ホンダモビリティを設立した経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 十時裕樹 | 十時裕樹氏が社長に就任 | ★ | ||
| 十時裕樹 | 金融事業の一部分離・再上場(税制適格パーシャル・スピンオフ) 2025年、ソニーグループが金融事業を営む完全子会社ソニーフィナンシャルグループ(SFGI)を税制適格のパーシャル・スピンオフで分離し、東証プライム市場へ再上場させた資本再編。ソニーが100%保有していたSFGI株の80%超を現物配当としてソニー株主に分配し、2割弱だけを手元に残した。新株発行も売り出しも伴わないダイレクトリスティングで、日本の税制適格パーシャル・スピンオフの初適用となった。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(ソニー)