1958

東京証券取引所に株式上場

歴史的意義
製品だけでなく資本市場でも日本企業初のグローバル化を推進

ソニーの上場戦略は、単なる資金調達にとどまらない。1958年の東証上場時にカタカナ社名への変更を断行し、1961年には日本企業初のADR発行、1970年にはNY証券取引所に上場した。製品のグローバル展開と資本のグローバル化を同時に進めたことで、海外投資家比率は32%に達する。製品ブランドと資本市場の双方で「日本企業初」を重ねた戦略は、盛田昭夫のグローバル経営構想の具現化であった。

背景

トランジスタラジオの急成長が生んだ資本調達の必要性

トランジスタラジオの輸出拡大によって、ソニーの事業規模は急速に拡大していた。1960年度には従業員数が3600名を超え、戦後に設立された企業としては異例の成長速度であった。生産能力の増強と海外展開のさらなる加速には、銀行借入だけでは賄いきれない規模の資金が必要になりつつあった。

1958年、ソニーは東京証券取引所に株式を上場した。同時に商号を「東京通信工業」から「ソニー株式会社」へ変更している。海外市場でトランジスタラジオのブランドとして定着していた「SONY」を正式な社名に据えることで、国内外で統一したブランド展開を図った。当時の日本企業でカタカナを商号に用いる例は少なく、先駆的な判断として注目された。

決断

日本企業初のADR発行と海外資本市場への進出

1961年、ソニーは日本企業として戦後初のADR(米国預託証券)を発行した。主幹事にはスミスバーニーと野村証券を選定し、公募は200万株(20万ADR)、公募価格は1ADRあたり17.5ドルであった。申し込みは殺到し、募集開始から即座に売り切れとなった。倍率は10倍に達している。

さらに1970年には、日本企業として初めてニューヨーク証券取引所への上場を果たした。海外の機関投資家から直接資金を調達する体制を整えたことで、1970年時点でソニーの株主における海外投資家比率は32%に達した。国内市場だけでなく資本市場においてもグローバル化を推し進めた点に、盛田昭夫の経営戦略の一貫性が表れている。