重要な意思決定
東京通信工業株式会社を設立
背景
元海軍技術者と酒造家の息子による共同創業
元海軍の技術者であった井深大(当時38歳)は、終戦により軍を失職した。技術を活かせる場を求めていた井深は、海軍時代の知己であった盛田昭夫と共同で会社を興すことを決意する。盛田の父は愛知県で酒造会社を経営しており、創業資金の出資に加え、東京通信工業の債務を個人保証として引き受けるなど財務面で全面的に支援した。
1946年5月、東京・日本橋の空襲で焼け落ちた白木屋の一角に本社を構え、東京通信工業株式会社を設立した。創業当初はNHKの放送設備の修理や電機関係の雑務を請け負う零細企業であり、1950年にテープレコーダーの製造に参入するまでは特定の主力製品を持たなかった。
決断
経済界の重鎮を取締役に据えた信用力の確保
技術者2人の零細企業が事業を軌道に乗せるには、販路と資金の両面で外部の信用力が不可欠であった。井深と盛田は、万代順四郎(帝国銀行=三井銀行の元頭取)を相談役に迎え、前田多門(元文部大臣)を形式上の初代社長に据えた。経済界と政界の重鎮を経営陣に組み込むことで、販売先の紹介やロビー活動、金融機関からの資金調達を円滑にする布陣を整えた。
この人事は創業者が実権を握りつつ、対外的な信用を外部の名望家から借りるという構造であった。井深は技術開発、盛田は営業と財務を担い、前田・万代が対外交渉の窓口として機能した。技術力と信用力の分業体制が、零細企業から製造業への脱皮を可能にする基盤となった。