1994年の判断は、決断の速さという点では際立っていた。不採算店を洗い出して1年で一括して閉じ、出店を6分の1に絞り、社長自身の報酬も返上する。前年まで16期連続で増収増益を続けた会社が、翌期の減益を見た時点でここまで対策を講じた例はそう多くないだろう。ただ、閉じた対象は店であって、店の作り方ではなかった。富永氏が語った"ロードサイド店同士の競争"という認識は、競争の場が郊外の総合商業施設へ移りつつあることまでは射程に入れていなかったようにみえる。
閉店で固定費を削るほど売上がそれ以上に減る循環は、1999年の380店計画でも変わらなかった。縮小は既存の形を保ったまま規模を落とす方法であり、業態そのものを作り替える作業とは異なる。低価格・小型・多店舗という三点は、大店法の下では強みとして噛み合っていた。その前提が失われたあと、三点のどれを捨てて何に置き換えるかという問いに、店舗数の調整だけで答えられたのかどうか——マルトミの6年間は、縮小と転換の距離を示す事例として読めるように思われる。