ハウス食品グループ本社低シェア事業からの撤退方針とチルド食品事業の全面撤退
- 背景
- 1970年代の多品目化で商品数は業務用を除き約750アイテムに達し、広告宣伝費は1977年11月期に売上高の10.5%を占めた。1984年の脅迫事件と1985年の浦上郁夫社長の急死が重なり、売上高を追う経営の見直しが避けられなくなっていた。
- 内容
- チルド食品事業は自前の配送網を持たず、最後の2〜3年は売上高20億円程度にとどまっていた。大塚社長は撤退を提案し、反対の声を押して決めた。あわせて新製品を出す社内ルールを厳しく改め、1989年度に55アイテム、1990年度に76アイテムを廃止した。
- 含意
- 商品数の削減は4〜5年にわたって売上の停滞と社内の不満を招いた。一方で返品率は7%近くから0.47%へ下がり、絞り込んだ枠から『六甲のおいしい水』『ジャック』などのヒットが出た。選択と集中の方針は2010年の水事業譲渡まで引き継がれた。
筆者の見解
畳む判断に、誰が責任を持つか
この判断で目を引くのは、撤退の対象が不振事業ではなく成長分野だった点にある。チルド食品は毎年2桁近く伸びる市場であり、続ける理屈はいくらでも立った。それでも大塚社長は、伸びる市場かどうかではなく、その市場で自社が首位グループに入れるかどうかを基準に置いた。新規事業に5年という期限を切り、力のあるうちに畳むという考え方も、赤字が膨らんでから追い込まれて撤退する型とは順序が逆になっている。撤退の判断を合議に委ねず、始める時は皆で決め、やめる時はトップが決めると分けたところにも、その順序を守るための工夫がうかがえる。
もっとも、この方針が社内に根づくまでには4〜5年の停滞と、社長自身が挫折感と呼ぶほどの摩擦があった。新製品の数は売上と直結し、営業の日々の手応えとも結びついている。それを減らす判断は、数字の上では正しくても、現場では士気の低下として現れる。ハウス食品はその後も選択と集中を続け、2010年には自ら育てた首位商品まで手放した。何を残し何を畳むかという問いは、創業家出身ではない経営者が最初に引き受けた課題であり、以後の同社が繰り返し向き合ってきた主題であるとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
- 日経ビジネス 1992年1月20日号
- 日経ビジネス 1993年2月1日号
- 日経ビジネス 1978年12月18日号
- ハウス食品 決算説明会 質疑応答(2010年5月21日)
- ハウス食品グループ本社 有価証券報告書 第79期(2025年3月期)【沿革】