日立化成日立ハウステック株式のニューホライズンキャピタルへの譲渡と住宅設備事業からの撤退

時期 2007年12月
意思決定者(推定) 長瀬寧次 日立化成工業 執行役社長
論点 非中核事業の切り離しと電子材料への集中
概要
2007年12月21日、日立化成工業は完全子会社の日立ハウステック発行済株式の約93%を、ニューホライズンキャピタルが運営する投資事業組合の出資するNH合同会社へ譲渡する契約を結び、2008年1月15日に実施した。独立初期を支えた住宅機器・環境設備事業をグループから切り離し、電子材料と機能性材料へ経営資源を集める判断であった。
背景
1962年に日立製作所から分離独立した当初、プラスチック浴槽や家庭用浄化槽といった住宅設備機器が収益を支えた。しかし国内の住宅市場が頭打ちとなり、2001年に会社分割で日立ハウステックとして分社したのちも、電子材料を主力とする本体のなかで住宅設備の位置づけは下がっていた。
内容
システムバス・システムキッチンなどを手がける日立ハウステックの株式約93%を、産業再編促進ファンドを掲げるニューホライズンキャピタルへ譲渡した。会計上は2007年9月30日をみなし譲渡日とし、分離に伴う譲渡益30億円を特別利益に計上。住宅機器・環境設備は連結売上の5.8%まで縮小した。
含意
同業への統合ではなく独立系ファンドへの売却を選んだことで、譲受側は独立企業として再建の道を進んだ。日立化成は住宅設備を手放して電子材料メーカーとしての輪郭を鮮明にし、その体格が2020年の昭和電工による買収へとつながっていく。
筆者の見解

恩人を手放すということ

手放した住宅設備は、1962年の分離独立からしばらく会社の収益を支えた事業であった。2001年に会社分割で日立ハウステックとして分け、2008年には株式の約93%をニューホライズンキャピタルへ渡している。それでも切り離せたのは、住宅設備が日立という大口需要家を持たず、頭打ちの国内住宅市場だけを相手にしていたからだとみられる。電子材料へ会社を絞り込むうえで、由緒はあっても外部市場のみに依存する周辺事業から先に整理する順序を取っていた。

もっとも、追い込まれた末の売却という色合いも残る。分離に伴う譲渡益は30億円にとどまり、事業を高値で手放せたわけではなく、住宅市場が細ってからの決断であった点は否めない。それでも日立ハウステックは同業へ吸収されず、ハウステックとして存続した。手放す側と受け取る側の双方に逃げ道を用意した売り方が、後に昭和電工が1兆円近くで買う電子材料メーカーの輪郭を、この時点で整えていたといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

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出典・参考
  • 日立化成工業 有価証券報告書(2008年3月期・連結)
  • 日立化成工業 有価証券報告書【沿革】(2008年3月期)
  • ハウステック「商号変更およびブランド変更のお知らせ」

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