藤沢が受け取った額は、業界推定で10億円前後にすぎない。営業利益が138億円まで減少した会社の穴を埋める金額ではなく、資金の手当てが目的でなかったことは、この一点からうかがえる。売却したのは、シェアが11%まで下がったピコレットを抱えて家庭用品市場で他社と競う立場そのものであった。会社が挙げた集中先は大衆薬であったが、半年後に決めたのは米ライフォメッドへの22.5%資本参加であり、空いた手が向かった先は欧米の医療用医薬品であったと推察される。
ただ、負担が軽くなったから海外で伸びたとは言えない。フジサワスミスクラインは投入するはずの新薬候補のうち1品目しか製品化できず、販売網をゼロから作る壁に突き当たったままであった。ライフォメッドを選んだ理由も、新薬メーカーでは投資額が大きすぎるという消去法に近い。1961年から24年続いた非医薬品の商いから2カ月余りで撤退した速さと、欧米で足場が固まるまでの遅さが、同じ経営の下に並んでいた。