SE07で中小型液晶を譲渡(2003年・セイコーエプソンの決断)更新:2026/07/26論点1位になれない電子デバイスから撤退するかセイコーエプソン:業績の推移売上高(億円)親会社株主に帰属する当期純利益率(%)データ出所電子デバイス事業の縮小と、中小型液晶ディスプレイ事業資産の譲渡何をなぜ決めたか:電子デバイス事業の縮小と、中小型液晶ディスプレイ事業資産の譲渡概要2003年1月、セイコーエプソンは中期経営計画"SE07"で電子デバイス事業の使命を置き替え、映像分野の完成品へ資源を集中する方針を社内に示した。世界で1位か2位を取れない事業から撤退するという1990年代からの基準を、部品事業そのものに当てはめた判断であった。液晶ディスプレイの分社を経て、2010年4月に中小型液晶ディスプレイ事業資産の一部を譲渡するまでに8年を要した。背景1999年から2000年の通信・携帯電話ブームで、エプソンは小型液晶ディスプレイの世界シェア首位を占めて急成長した。ITバブルの崩壊とともに業績は崩れ、2002年3月期の連結は経常利益193億円に対して当期純損失184億円を計上した。完成品を持たない部品事業は、市況と取引先の製品の売れ行きに収益を左右された。内容草間三郎社長は『これからは、コア(中核)技術に忠実に製品を作る。落下傘型の事業はやらない』と述べ、デバイス事業をプリンターやプロジェクターといった自社の完成品を支える役へ置き直した。基幹デバイスにならないものは縮小・撤退の対象とし、液晶ディスプレイは2004年10月に三洋電機との合弁として分社した。含意縮小の途中でリーマン危機が重なり、2009年3月期に当期純損失1,113億円を計上した。中小型液晶は2010年4月に事業資産の一部を売却し、プリンティングがほぼ唯一の主力事業に戻った。基準を掲げてから撤退し終わるまでに要した8年が、部品と完成品を同時に抱えることの難しさを示している。いつ何が起きたか8件考察:決めた基準と、切り離すまでの距離考察考察:決めた基準と、切り離すまでの距離その同じ基準を部品事業そのものに当てはめたのが、草間三郎社長の『落下傘型の事業はやらない』という宣言であった。他社の売れ行きに収益を委ねる事業を中核事業から降ろすほかないと踏んだのは、完成品を持つシャープとの業績差が目の前にあったからだとみられる。ただ、宣言から液晶から撤退するまでの8年に、会社は2006年3月期の179億円、2009年3月期の1,113億円という損失を重ねた。分社という撤退の仕方は雇用と技術を外に置いたまま残す一方で、赤字も抱えたまま歩む方針であり、月単位で進む値崩れには追いつかなかった。基準を決めることと、決めた基準で実際に事業を切り離すことのあいだには、これだけの距離があったといえる。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 2002年4月8日号日経ビジネス 2003年1月20日号セイコーエプソン 有価証券報告書 第83期(2025年3月期)【沿革】セイコーエプソン 有価証券報告書(2002年3月期・2006年3月期・2007年3月期・2009年3月期・2010年3月期・2015年3月期)次に読む決断セイコーエプソンの意思決定2009年セイコーエプソンセイコーエプソンEpson America傘下の不適切な経理処理内部統制報告制度の初年度に重要な欠陥を開示し、海外子会社の管理を立て直した判断2009年2016年セイコーエプソンセイコーエプソン監査等委員会設置会社へ移行監督の担い手を取締役会の構成員とし、審議を重要議案に限定した機関設計の切り替え2016年同じ問い:集中のための事業売却2008年日立化成日立化成日立ハウステックの譲渡投資ファンドへの株式売却による住宅設備事業からの撤退2008年2007年シチズン時計シチズン時計電子デバイス事業から撤退携帯電話向けカメラ部品と小型液晶パネルを切り離す選択と集中2007年2006年ヤマハヤマハレクリェーション事業の撤退減損会計の適用による損失の一括計上と、抱えてきた事業の整理2006年2015年太陽誘電太陽誘電光記録メディア事業撤退一領域の切り離しによる、電子部品単一セグメントへの事業構成の回帰2015年2016年旭化成旭化成水島エチレンセンターの1基化自社のエチレン設備の停止と、三菱化学との運営会社からの原料購入2016年×出所