大日本製薬の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

自前で生めない品目は、外と組んで埋めてきた。1903年に加えた酒精ではわが国初の無水アルコールの製造に成功し、日露戦争後の不況はこの伸びで乗り切っている。1908年に大阪薬品試験を吸収合併してからは、1945年まで民間唯一の権威ある検査機関として試験と小分封緘を引き受けた。1927年には長井長義博士が発見した塩酸エフェドリンを喘息治療剤として発売して大きな反響を呼んだが、戦後は世界水準から立ち遅れた技術を埋めるため、1952年以降GDサール社などと提携して潰瘍治療薬バンサインや血圧降下剤エガリンを出し、アボット社との共同出資で放射性医薬品へ入った。1968年の鈴鹿工場と1971年の総合研究所で、合成医薬の生産と研究の二拠点を固めている。

同業他社の状況(新薬大手)

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