住友ファーマ の歴史

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創業 1897年
母体 薬業家21名
創業地 大阪市
創業
1897年5月、大阪・道修町の薬業家21名が資本金10万円を出し合って大阪製薬を設立し、翌1898年には東京の大日本製薬合資会社を買収して大日本製薬へ改めた。一社では工場新設の負担に耐えられない薬種商が持ち寄った会社で、外と組んで足りない力を補う気質はこの出自に始まる。合成医薬と国内の販路で独立を保ったものの、2003年には創業の地である大阪工場を閉鎖し、2004年3月期の連結売上高は1,708億円にとどまった。この規模で新薬の開発費を単独で賄うのは難しい。2005年10月、住友化学が1984年に医薬事業を分社して興した住友製薬と合併し、106年の独立経営を終えた。2022年4月には商号を住友ファーマへ改めている。
決断
新薬を自前で生むより、売る組織を北米で買い足してきた。2009年9月に米セプラコールを約26億ドルで買収して米国の販売組織を確保し、住友製薬由来の抗精神病薬ラツーダを翌年から米国で自ら売った。FY17の営業利益881億円は最高益にあたるが、収益はこの単剤へ寄っていく。米国での独占販売の終了を先回りするため、2019年9月には英ロイバントと提携してスミトバントを子会社化し、後継候補と創薬の基盤をまとめて取り込んだ。ところがオルゴビクス・マイフェンブリー・ジェムテサの3品はいずれも計画に達せず、買い足した資産は取得額のまま評価損へ振り替わった。
現況
北米が売上の四分の三と、セグメント利益の八割近くを生んでいる。2026年3月期の売上収益4,533億円のうち北米は3,379億円、セグメント利益976億円のうち757億円が北米である。日本は売上924億円・利益124億円にとどまる。2023年4月に総額1,809億円の減損を一度に計上し、北米の人員を2,200人から1,200人へ、パイプラインを22品目から17品目へ絞った。FY24は当期利益236億円へ戻り、FY25の営業利益は1,073億円まで回復している。2025年5月の中期経営計画Reboot 2027では中国・アジア事業を丸紅グローバルファーマへ計720億円で譲渡し、新薬を売る米国と日本の2拠点へ経営資源を集約した。
競合
同じ2005年の再編でも、住友ファーマだけは親会社の傘下へ入った。同じ年に山之内製薬と藤沢薬品工業が合併してアステラス製薬になったのも、三共と第一製薬が株式移転で第一三共を設けたのも、規模の近い二社が対等に一つになって単独の大手として残る形である。大日本製薬が選んだのは住友化学の子会社となる道で、同社は2026年3月末に51.76%を保有する。研究開発の原資を得た代わりに、経営の判断は親会社の側にも属した。2025年2月には再生・細胞医薬事業を会社分割し、新設したRACTHERAの株式66.6%を住友化学へ譲渡している。競争の焦点は国内の順位ではなく、北米に残した数品を売り切れるかに移った。
住友ファーマ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
1997年3月期2026年3月期

設立ストーリー 道修町21名の共同出資から独立中堅106年の終幕 (1897年〜)

21人の薬種商による共同事業の船出

1897年5月、大阪市道修町の有力薬業家21[1]名が資本金10万円を出し合って大阪製薬を設立した[2][3]。当時の国産医薬は輸入品に押され、技術の低さと価格競争から粗悪品も横行しており、製薬事業の独立と品質改善を掲げての創業だった。江戸期から薬種問屋が集積していた道修町では、単独では引き受けきれない規模の製造投資を寄り合いの形で共同して担う必要があった。翌1898年、大阪市外の鷺洲村大字海老江(のちの大阪工場所在地)に製薬工場を新設して製造を開始し[4]、同年、明治16年に国庫の補助でわが国製薬会社の嚆矢として営業を始めていた東京の大日本製薬合資会社を買収したうえで、社名を大日本製薬株式会社へと改めた。[5][6]21人による共同出資という出自は、規模の面で大手に劣る代わりに、身軽な合従連衡を可能にする土壌として長く残り、のちの合併判断における素地にもなった。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]大阪製薬は大阪市道修町の有力薬業家21名の共同出資で創業した
    • [2]1897年5月に大阪製薬を設立した
    • [6]1898年に大日本製薬合資会社を買収し大日本製薬株式会社へ商号変更した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]大阪製薬は資本金10万円で創立された
    • [4]1898年に大阪市外の鷺洲村大字海老江(のちの大阪工場所在地)に製薬工場を新設し製造を開始した
    • [5]買収した東京の大日本製薬合資会社は明治16年に国庫の補助でわが国製薬会社の嚆矢として営業を始めた会社である

創立当時の主力はチンキ剤やシロップ剤などのガレヌス製剤だったが、1903年に酒精の製造販売を加え、わが国初の無水アルコールの製造に成功してその品質は高く評価され、日露戦争後の不況期はこのアルコールの伸びで乗り切った。[7]1908年には明治21年創立の大阪薬品試験を吸収合併し[8]、各種薬品や衛生材料の試験と小分封緘を引き受ける民間唯一の検査機関[9]として信用を高めた。1917年には阿片法の一部改正で製薬用阿片売下げの指定会社となって麻薬の製造を開始し[10]、1927年には長井長義博士が発見した塩酸エフェドリンを喘息治療剤として発売して大きな反響を呼んだ。[11]海外でも大陸進出を進めて奉天に支店、新京に工場を置いたが[12]、戦災で被害を受けて終戦を迎えた。戦後は1950年に人員整理と一部工場閉鎖を含む企業合理化[13]を断行し、1952年以降はGDサール社など外国製薬企業と提携して潰瘍治療薬バンサインや血圧降下剤エガリンを発売、アボット社との合弁でダイナボット・ラジオアイソトープ研究所を設けて放射性医薬品の製造販売も始めた。[14][15]製品を切り替えながら独立を保った歩みが、合成医薬中心の中堅という後年の姿につながった。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [7]1903年に酒精(アルコール)の製造販売を加え、わが国初の無水アルコールの製造に成功した
    • [9]吸収合併した大阪薬品試験は明治21年創立で、合併後は試験と小分封緘を引き受ける民間唯一の検査機関となった
    • [10]1917年に阿片法の一部改正で製薬用阿片売下げの指定会社となり麻薬の製造を開始した
    • [11]1927年に長井長義博士が発見した塩酸エフェドリンを喘息治療剤として発売した
    • [12]戦前に大陸進出を進め奉天に支店、新京に工場を置いた
    • [13]戦後1950年に人員整理と一部工場閉鎖を含む企業合理化を断行した
    • [14]1952年以降GDサール社など外国製薬企業と提携し潰瘍治療薬バンサインや血圧降下剤エガリンを発売した
    • [15]アボット社との合弁でダイナボット・ラジオアイソトープ研究所を設け放射性医薬品の製造販売を行った
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1908年に大阪薬品試験を吸収合併した

資本市場との関係でも体制を整え、1949年に大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場し[16]、1961年には東京証券取引所の市場第一部に指定された[17]。1968年に三重県の鈴鹿工場[18]、1971年に大阪の総合研究所を相次いで開設し[19]、合成医薬の生産と研究の二拠点体制を整えた。意思決定の速度と開発投資の規模を同時に追求しにくいのが中堅メーカーというポジションで、合成医薬中心の製品群を軸としながら、戦後の復興期から高度経済成長期を経てオイルショック後までを独立企業のまま生き抜くための体制がおおむね固まった。単独経営のまま走り抜けた期間は80年近くに及び、その間は大手3社とは異なる中堅の身の丈に合った投資設計が一貫していた。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [16]1949年に大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場した
    • [17]1961年に東京証券取引所の市場第一部へ指定された
    • [18]1968年に三重県の鈴鹿工場を開設した
    • [19]1971年に大阪の総合研究所を開設した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [1]大阪製薬は大阪市道修町の有力薬業家21名の共同出資で創業した
    • [2]1897年5月に大阪製薬を設立した
    • [6]1898年に大日本製薬合資会社を買収し大日本製薬株式会社へ商号変更した
    • [8]1908年に大阪薬品試験を吸収合併した
    • [16]1949年に大阪・東京の両証券取引所へ株式を上場した
    • [17]1961年に東京証券取引所の市場第一部へ指定された
    • [18]1968年に三重県の鈴鹿工場を開設した
    • [19]1971年に大阪の総合研究所を開設した
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
    • [3]大阪製薬は資本金10万円で創立された
    • [4]1898年に大阪市外の鷺洲村大字海老江(のちの大阪工場所在地)に製薬工場を新設し製造を開始した
    • [5]買収した東京の大日本製薬合資会社は明治16年に国庫の補助でわが国製薬会社の嚆矢として営業を始めた会社である
    • [7]1903年に酒精(アルコール)の製造販売を加え、わが国初の無水アルコールの製造に成功した
    • [9]吸収合併した大阪薬品試験は明治21年創立で、合併後は試験と小分封緘を引き受ける民間唯一の検査機関となった
    • [10]1917年に阿片法の一部改正で製薬用阿片売下げの指定会社となり麻薬の製造を開始した
    • [11]1927年に長井長義博士が発見した塩酸エフェドリンを喘息治療剤として発売した
    • [12]戦前に大陸進出を進め奉天に支店、新京に工場を置いた
    • [13]戦後1950年に人員整理と一部工場閉鎖を含む企業合理化を断行した
    • [14]1952年以降GDサール社など外国製薬企業と提携し潰瘍治療薬バンサインや血圧降下剤エガリンを発売した
    • [15]アボット社との合弁でダイナボット・ラジオアイソトープ研究所を設け放射性医薬品の製造販売を行った

一桁海外比率で築いた北米進出の足がかり

1993年1月、米国カリフォルニア州にDainippon[20] Pharmaceutical U.S.A.を設立した。当時の海外売上比率はまだ一桁にとどまり、本社の主戦場は依然として国内向けの合成医薬と診断薬だったが、米国市場における製品ライセンスや臨床開発の窓口を自前で持つこと自体が、のちの本格的な米国進出へ向けた助走となった。同じ時期の国内医薬品業界では、新薬研究開発費の負担が中堅各社の収益に重くのしかかり、武田・第一三共・アステラスといった上位グループと中堅メーカーとのあいだで、新薬開発の体力格差が広がった。単独路線の限界が見えはじめた時期で、大日本製薬にとっても米国への窓口確保は、本社だけでは担い切れない研究開発投資を外部の提携でまかなう事前の布石でもあった。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1993年1月に米国カリフォルニア州でDainippon Pharmaceutical U.S.A.を設立した

2003年4月、創業の地である大阪工場を閉鎖し、鈴鹿工場へ生産機能を統合した[21]。製造拠点の集約そのものは中堅メーカーにとって定石的な合理化だったが、大阪製薬として始まった106年来の生産拠点が消えたことは、独立中堅としての大日本製薬という会社の形がそのままでは続けられないと内外に示す出来事でもあった。2004年3月期の連結売上高は1,708億円[22]、経常利益は101億円にとどまった[23]。この規模では新薬パイプラインを単独で持続的に回していくのは難しいという経営陣の結論が、やがて住友化学グループの住友製薬との合併交渉の前提条件になった。上位メーカーが年間1,000億円超の研究開発費を投じる時代に、売上1,700億円規模の単独経営では次世代パイプラインの原資を捻出できないという事実が、創業地の閉鎖と合併選択の両方を説明する。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2003年4月に大阪工場を閉鎖し鈴鹿工場へ生産機能を統合した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [22]2004年3月期の連結売上高は1,708億円だった
    • [23]2004年3月期の経常利益は101億円だった
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1993年1月に米国カリフォルニア州でDainippon Pharmaceutical U.S.A.を設立した
    • [21]2003年4月に大阪工場を閉鎖し鈴鹿工場へ生産機能を統合した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [22]2004年3月期の連結売上高は1,708億円だった
    • [23]2004年3月期の経常利益は101億円だった

大日本製薬と住友製薬を1社にする選択

2005年10月、大日本製薬は住友化学グループの住友製薬[24]と合併し、大日本住友製薬として発足した[25]。承継されたのは茨木・愛媛・大分の各工場と大阪研究所[26]、それに中国の住友制葯(蘇州)だった。初代の社長には宮武健次郎が就任し[27]、2008年に後を受けて多田正世が社長へ就いた[28]。合併の眼目は、合成医薬を中心としていた大日本製薬と、中枢神経・循環器領域で有望な開発品を抱えていた住友製薬の補完性、そして住友化学グループの財務的な後ろ盾を得て北米市場への本格進出を加速できること、という二点に集約された。独立では難しかった研究開発投資を、グループ傘下に入ることで実行可能にするための枠組みであった。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書/住友化学100年史
    • [24]合併相手の住友製薬は住友化学グループの製薬会社である
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2005年10月に住友製薬と合併し大日本住友製薬として発足した
    • [26]合併で茨木・愛媛・大分の各工場と大阪研究所、中国の住友制葯(蘇州)を承継した
    • [27]大日本住友製薬の初代社長は宮武健次郎が就任した
    • [28]2008年に多田正世が社長へ就任した

合併翌年度のFY05連結売上高は2,458億円[29]、営業利益は289億円まで伸び[30]、FY07には売上2,640億円[31]、営業利益398億円へ拡大した[32]。住友化学グループにおける医薬事業の中核という位置づけが、数字のうえでも形になった時期にあたる。同じころ、住友製薬由来の非定型抗精神病薬ルラシドン(のちのラツーダ)は、米国での第3相試験で有望な結果を示し、この新薬一品をどう育て、どう海外で売り切るかが合併後の新会社の中期戦略における中心命題となった。中堅メーカーにとって、単一品で数千億円規模の市場を取りにいく機会はめったに巡ってこない。ラツーダは住友化学の後ろ盾を得た新会社の試金石の位置にあった。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [29]FY05の連結売上高は2,458億円だった
    • [30]FY05の営業利益は289億円だった
    • [31]FY07の売上高は2,640億円だった
    • [32]FY07の営業利益は398億円だった
  • 住友ファーマ 有価証券報告書/住友化学100年史
    • [24]合併相手の住友製薬は住友化学グループの製薬会社である
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2005年10月に住友製薬と合併し大日本住友製薬として発足した
    • [26]合併で茨木・愛媛・大分の各工場と大阪研究所、中国の住友制葯(蘇州)を承継した
    • [27]大日本住友製薬の初代社長は宮武健次郎が就任した
    • [28]2008年に多田正世が社長へ就任した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [29]FY05の連結売上高は2,458億円だった
    • [30]FY05の営業利益は289億円だった
    • [31]FY07の売上高は2,640億円だった
    • [32]FY07の営業利益は398億円だった

26億ドルで買い取ったラツーダの国

2009年10月、大日本住友製薬は[33]米国のSepracor Inc.を約26億ドルで買収した[34]。のちにサノビオン製薬として再編されたこの買収は[35]、ルラシドンの米国販売網を自前で手に入れるための決断で、2010年にラツーダが米国で承認・発売されると、サノビオンの営業組織はそのまま新薬の上市装置となった。FY10の連結売上高は3,795億円へ膨らみ[36]、合併直後からわずか4年でおよそ1.5倍の規模に達した。米国の精神科領域に独自の販路を持つこと自体が、当時の日本の中堅メーカーとしては異例な規模の賭けで、同時に、ラツーダ単剤に過度に依存する収益構造の芽もこのころから育ちはじめた。武田のミレニアム買収や第一三共のランバクシー買収と並ぶ時期の案件で、同社は単独品ベースの賭け方で大手に伍する選択をした。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [33]Sepracorの買収価格は約26億ドルだった
    • [36]FY10の連結売上高は3,795億円だった
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2009年10月に米国Sepracor Inc.を約26億ドルで買収した
    • [35]Sepracorはのちにサノビオン製薬として再編された

2012年にBoston Biomedical(がん領域[37])、2017年にTolero Pharmaceuticals(オンコロジー領域)、[38]2016年にカナダのSynapsus(パーキンソン病レスキュー薬キンモビ)と[39]、北米でのM&Aが継続的に積み上がった。FY17の営業利益は881億円という過去最高水準に達し[40]、ラツーダ単剤の成功がほかの北米買収案件を後から正当化する循環が、いったんは綺麗に成り立った。2019年12月にはRoivant Sciences傘下[41]のSumitovant Biopharmaの子会社化に対して約30億ドルを投じ[42]、オルゴビクス・マイフェンブリー・ジェムテサという3製品を、ラツーダの後継候補としてひとまとめで獲得した。FY21の売上高は合併時の2倍超にあたる5,600億円[43]に達したが、ラツーダ米国独占販売の終了というLOEが翌年度に迫っていた。

  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [37]2012年にBoston Biomedicalを買収した(がん領域)
    • [38]2017年にTolero Pharmaceuticalsを買収した(オンコロジー領域)
    • [41]2019年12月にRoivant Sciences傘下のSumitovant Biopharmaを子会社化した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [39]2016年にカナダのSynapsus(パーキンソン病レスキュー薬キンモビ)を買収した
    • [40]FY17の営業利益は881億円で過去最高水準に達した
    • [42]Sumitovant子会社化に約30億ドルを投じた
    • [43]FY21の売上高は5,600億円に達した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
    • [33]Sepracorの買収価格は約26億ドルだった
    • [36]FY10の連結売上高は3,795億円だった
    • [39]2016年にカナダのSynapsus(パーキンソン病レスキュー薬キンモビ)を買収した
    • [40]FY17の営業利益は881億円で過去最高水準に達した
    • [42]Sumitovant子会社化に約30億ドルを投じた
    • [43]FY21の売上高は5,600億円に達した
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
    • [34]2009年10月に米国Sepracor Inc.を約26億ドルで買収した
    • [35]Sepracorはのちにサノビオン製薬として再編された
    • [37]2012年にBoston Biomedicalを買収した(がん領域)
    • [38]2017年にTolero Pharmaceuticalsを買収した(オンコロジー領域)
    • [41]2019年12月にRoivant Sciences傘下のSumitovant Biopharmaを子会社化した

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住友ファーマの沿革1897〜2024年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1897〜2004年道修町21名の共同出資から独立中堅106年の終幕大阪製薬を設立
大阪工場を新設
大日本製薬を買収し商号変更★★
大阪薬品試験を吸収合併
五協産業を設立
大阪・東京両証券取引所に株式上場
宮武徳次郎鈴鹿工場を新設
宮武徳次郎総合研究所を新設
宮武徳次郎Dainippon Pharmaceutical U.S.A.を設立
宮武健次郎大阪工場閉鎖・鈴鹿工場へ生産統合
2005〜2021年住友製薬合併から北米M&Aで積み上げた拡張の20年宮武健次郎宮武健次郎が初代社長に就任
宮武健次郎住友製薬との合併による大日本住友製薬の発足と、住友化学グループ入り

2004年11月25日、大日本製薬と住友化学グループの住友製薬が合併の基本合意書を締結し、2005年10月1日に合併して大日本住友製薬が発足した経営判断。大日本製薬を存続会社とする合併比率1:1,290の吸収合併で、新会社の株式の過半を住友化学が握った。1897年の創業から106年、単独で歩んできた中堅メーカーが親会社を持つ側へ回った。

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★★★
多田正世多田正世氏が社長に就任
多田正世米セプラコールの約26億ドルでの買収による米国販売網の獲得

2009年9月3日、大日本住友製薬が、米国マサチューセッツ州の製薬会社セプラコール(Sepracor Inc.)を1株23ドル・総額約26億ドルで買収することで合意したと発表した経営判断。米国子会社を通じた現金の株式公開買付(TOB)で全株を取得し、同年10月に完全子会社化した。多田正世社長のもとで下した、中堅メーカーとして異例の大型買収であった。

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★★★
多田正世Boston Biomedical, Inc.を買収★★
多田正世Tolero Pharmaceuticals, Inc.を買収★★
野村博野村博氏が社長に就任
野村博茨木工場・愛媛工場を閉鎖
野村博英ロイバントとの戦略的提携によるスミトバント子会社化と、ロイバント株11%の取得

2019年9月6日、大日本住友製薬が英ロイバント・サイエンシズとの戦略的提携について基本合意し、10月31日に正式契約、12月27日に手続を完了した経営判断。ロイバントが新設した持株会社スミトバント・バイオファーマの全株式を20億米ドルで取得し、あわせてロイバント本体の株式11%を10億米ドルで取得した。対価は総額約30億米ドル(約3,300億円)で、同社史上最大の案件となった。

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★★★
2022〜2025年ラツーダ特許切れが呼び込んだ3,150億円の清算野村博商号を住友ファーマに変更・プライム市場へ移行
野村博総額1,809億円の減損計上と、北米人員半減・パイプライン圧縮による構造改革

2023年2月に抗精神病薬ラツーダの米国独占販売期間が終了したことを受け、住友ファーマが2024年3月期に総額1,809億円の減損損失を計上し、北米の人員を約半分に削り、パイプラインを絞り込んだ経営判断。同期の営業損失は3,549億円、親会社の所有者に帰属する当期損失は3,150億円となった。決算発表と同じ日に野村博社長の退任と木村徹副社長の昇格が発表された。

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★★★
野村博FY23通期で純損失3,150億円規模・巨額のれん減損★★
木村徹木村徹が代表取締役社長に就任
出典・参考
  • 住友ファーマ 決算説明会(2023年3月期第2四半期)
  • 住友ファーマ 決算説明会(2024年3月期)
  • 住友ファーマ 決算説明会(2025年3月期)
  • 住友ファーマ 有価証券報告書【沿革】
  • 住友ファーマ 有価証券報告書
  • 住友ファーマ 有価証券報告書/住友化学100年史
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社, 1968)
  • 住友ファーマ 中期経営計画2027
  • 住友ファーマ 中期経営計画 Reboot 2027

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