この合併が円滑に進んだ背景には、強みと地域が重ならない補完関係という経済合理性に加え、"対等"を周到に設計したことがあっただろう。法人格としては山之内を存続会社とする吸収合併で、比率も山之内に有利でありながら、旧2社の名を捨てた新社名と、社長・会長を旧2社で分け合う経営体制によって、どちらの企業に飲み込まれたわけでもないという感覚を社内に醸成した。合併で生じやすい吸収される側の不満や主導権争いを、象徴の次元であらかじめ和らげた設計と読むこともできる。
一方で、対等の演出が万能だったわけではない。合併から20年を経て振り返れば、統合の成否と、当初描いたグローバルメガファーマへの飛躍という野心の達成度は別の問題であった。社名一新と経営体制の均衡は、合併直後の社内統合を円滑にする上で有効だったとみられるが、その後の成長は結局、新薬を生み出し続けられるかという創薬力に左右されている。対等という設計はディールを成立させ統合を滑らかにする技術として優れていた一方、企業の長期的な競争力は別の論理で決まることを、この事例は示しているとも読める。