田辺製薬の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

事業の向きを変えたのは、いつも社外から来た断絶だった。1914年の輸入途絶が薬種商を製造業へ移し、戦後は1949年5月の東京・大阪への上場と海外拠点の設置が規模を拡大する。1953年には米チャールス・ファイザーとの同額出資でファイザー田辺を設立し、抗生物質テラマイシンを国内で生産した。心臓病薬ヘルベッサーは101カ国で売れ、輸出比率19%は業界で最も高い。ところが2年に一度の薬価改定は、売上の7割を占める医療用医薬品の価格を毎回引き下げていく。1996年から3年続いた改定を前に、1998年1月、田中登志於社長は全社員へ「非常事態」を宣言し、構造改革委員会を設置した。開発期間の短縮と間接部門の効率化に入ったが、値段を自社で決められないという前提までは動かせなかった。

  • 2001年9月 大正製薬との統合破談
    業績の推移
  • 1998年1月 非常事態宣言

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