ライフォメッドの売却(1998年・藤沢薬品工業の決断)更新:2026/10/15藤沢薬品工業:業績の推移売上高(億円)経常利益率(%)データ出所米国後発医薬品事業の売却と、新薬子会社への集約藤沢薬品工業は1998年3月末、米国の後発医薬品事業から撤退すると発表した。新薬の事業は新設のフジサワヘルスケアに移り、6月から同社が引き継いでいる。決算では撤退の費用として特別損失460億円が出て、最終損益は単独が369億円、連結が15億円の赤字だった。ライフォメッド買収の当時に社長だった創業家の藤澤友吉郎会長は、引責のかたちで取締役相談役へ退いた。何をなぜ決めたか:米国後発医薬品事業の売却と、新薬子会社への集約概要藤沢薬品工業は1998年3月末、米国の後発医薬品事業から撤退すると発表した。新薬の事業は新設のフジサワヘルスケアに移り、6月から同社が引き継いでいる。決算では撤退の費用として特別損失460億円が出て、最終損益は単独が369億円、連結が15億円の赤字だった。ライフォメッド買収の当時に社長だった創業家の藤澤友吉郎会長は、引責のかたちで取締役相談役へ退いた。背景藤沢は1985年1月にライフォメッドへ22.5%で資本参加し、1987年には30%を持つ筆頭株主となった。1989年に公開買付けで全株式の約99%を10月に取得し、1990年4月に全株を取得して完全子会社とした。総額は約7億6,500万ドル(約1,070億円)にのぼる。経営企画を担った堀口勝弘常務は『ライフォメッド社買収で期待したのは、同社の新薬事業とわが社が独自に持っていた新薬事業のシナジー(相乗効果)です』と、買収の狙いを明かしている。 1990年4月に新発足したフジサワUSAは、新薬事業部門と、後発品にあたるマルチソース薬事業部門のライフォメッドを擁して事業を始めた。内容1991年の暮れに、ライフォメッド時代に出した承認申請のデータが虚偽だったことが、FDAの検査によって明らかになった。申請書類の再審査は1992年初めから1年以上続き、マルチソース薬の約10品目が問題を指摘されて多くの製品を販売中止・回収し、主力のグランドアイランド工場も全ラインの生産を止めた。フジサワUSAは1992年に7,200万ドルの損失を計上し、その不振が響いて、藤沢の連結決算は1993年3月期に初めて赤字となった。 1993年1月には取締役の青木初夫氏が率いる計30人の部隊が米国へ渡り、1994年8月末にFDAから申請保留措置(AIP)を解除するとの通知を受けた。それでも赤字は消えず、買収から9年後に後発品事業から撤退した。含意後発品を切り離した米国事業は、新薬に絞って伸びた。フジサワヘルスケアの1998年(1〜12月、1〜5月はフジサワUSAとの合算)の売上は431億円、営業利益は76億円、当期利益は79億円で、うち免疫抑制剤プログラフの売上が1億3,900万ドルを占めた。プログラフは1994年6月に米国で発売しており、移植手術を行う医師を回れば売れるため、米国の人員は数十人で足りた。 買収は数百億円の流出を招いただけという見方に対し、のちの青木初夫社長は『米国事業を立て直したことで藤沢グループ全体の力が大きく向上した。生産、管理、企画のあらゆる部門で米国ビジネスを理解した人材が育った』と反論している。いつ何が起きたか11件筆者考察考察考察:買ったのは販売網、欠けていたのは人約1,070億円で手に入ったのは後発品の品ぞろえと米国の販売網であって、それを動かす人ではなかった。資本参加から完全買収まで段階を踏んで出資を積み増した一方、経営への関与は非常勤役員にとどめており、買収先の申請データの中身まで立ち入って確かめる手立てを持たなかったのだろう。FDA問題を収めたのが、研究所や工場から集めた人材を日本から送り込む手当てだったことは、欠けていたものが資金ではなく人だったことの裏返しとみられる。もっとも、撤退は失敗の清算というより、米国事業の性格の置き直しだったと思われる。品ぞろえの広さで販売網を支えるという買収時の構想に代わり、移植医だけを訪ねれば足りる一つの新薬が米国事業を担った。1998年に1億3,900万ドルを売ったプログラフも、それを売る組織と米国の制度を知る人材がなければ伸びなかったはずで、後発品の撤退で失ったものと、立て直しで残ったものを分けて勘定すべき判断だった。Yutaka Sugiura, 2026年7月参考文献参考文献参考日経ビジネス 2001年2月12日号藤沢薬品工業 平成12年3月期中間期連結業績予想修正参考資料(1999年10月26日)フジサワ100年史(藤沢薬品工業, 1995年)日経ビジネス 1992年12月14日号(日経BP社)日経ビジネス 2001年2月12日号(日経BP社)藤沢薬品工業 ニュースリリース「平成12年3月期中間期連結業績予想修正参考資料」次に読む決断藤沢薬品工業の意思決定1977年藤沢薬品工業藤沢薬品工業セファメジンへ集中投資主力薬効を抗生物質と神経系へ集中する事業構成の組み替え1977年1985年藤沢薬品工業藤沢薬品工業ピコレットなどライオンへ譲渡トイレ用芳香剤を含む家庭用品20品目の一括での切り離し1985年同じ問い:海外撤退2020年GMOペイメントゲートウェイGMOペイメントゲートウェイMACROKIOSKからの撤退マレーシアで抱えた子会社の全株式譲渡と海外事業の整理2020年2014年豊田合成豊田合成独メテオール社の資産譲受シーリング事業の欧州拡張と、5年後の連結除外2014年2011年住友金属鉱山住友金属鉱山シエラゴルダ鉱山を譲渡チリでの権益取得から、二度の減損を経た全持分の売却までの撤退2011年2015年ラクスラクスRigniteの譲渡撤退米国子会社の全株式売却によるSNSマーケティング事業の打ち切り2015年2017年トクヤマトクヤマOCIへ全株譲渡し撤退マレーシアの多結晶シリコン事業の減損確定と完全撤退2017年×出所