ラクス米国子会社Rignite Inc.の全株式譲渡とSNSマーケティング事業からの撤退

シリコンバレーで自ら売る会社になるか、国内クラウドに資源を寄せるか——上場前年に下した米国事業の整理

時期 2015年1月
意思決定者(推定) 中村崇則 社長
論点 米国直営事業の存続と経営資源の配分
概要
2015年1月、ラクスが米国カリフォルニア州の連結子会社Rignite Inc.の全株式を譲渡し、SNSマーケティング支援サービスの自社運営から退いた経営判断である。2011年4月にAmerican Rakus Inc.として設けた米国拠点を、3年9か月で手放した。同社は同年12月に東京証券取引所マザーズへの上場を控えていた。
背景
米国はクラウドサービスの本場であり、市場規模は日本の数倍と見込まれていた。中村崇則社長はグーグルやスタンフォード大学のある土地で最先端の情報に触れながら事業を伸ばす構想を語り、2012年8月には子会社名をサービス名と同じRigniteへ改め、拠点もサンフランシスコ市からマウンテンビュー市へ移していた。
内容
株式の売却価額は602万7千円であった。連結では株式売却益1,237万円とソフトウエア売却益1,704万円をあわせた関係会社整理益2,941万円を計上した一方、提出会社単体では関係会社株式売却損1億1,922万円を計上している。米国事業の規模は、譲渡時の数字にそのまま表れていた。
含意
撤退後、ラクスの海外拠点は2014年5月に設けたベトナムの開発子会社が中心となり、有価証券報告書でも海外子会社はクラウドサービスの一部を開発する存在として説明された。海外で売る会社から、国内で売り海外で作る会社へ、海外拠点の役割が入れ替わっている。
筆者の見解

602万7千円という値札

この撤退の芯にあるのは、中村崇則社長が2011年に100%子会社としてシリコンバレーへ置いた販売拠点を、上場を11か月後に控えた時点で602万7千円で手放した判断である。単体には関係会社株式売却損1億1,922万円が残り、4年近く入れてきた資金は株式としては戻らなかった。米国で振るわない理由は日本企業のまま振る舞うことにあると語っていた中村社長は、そのアメリカ流をやり切る前に幕を引いている。Rignite Inc.のCEOであった松嶋祥文氏を戦略企画部長として国内へ戻した人事に、販売機能を海外に置かないという結論が表れていたとみることができる。

もっとも、畳んだのは米国の会社であって、海外そのものではない。譲渡の8か月前に設けたベトナムの開発子会社は残り、有価証券報告書は海外子会社をクラウドサービスの一部を開発する拠点として説明した。売る場所としての海外を手放し、作る場所としての海外を残す入れ替えが、この時期に済んでいる。2024年12月にインドネシア企業へ14.9%を出資し、2025年4月にジャカルタへ100%子会社を置いた順序は、いきなり100%子会社をマウンテンビューに構えた2011年とは逆であった。米国から退いて10年、ラクスは自社サービスを海外で売る経路を、出資比率の小さいところから組み直している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

シリコンバレーに置いた100%子会社

ラクスが米国に拠点を設けたのは2011年4月であった。カリフォルニア州サンフランシスコ市に100%子会社American Rakus Inc.を設立し、翌2012年8月には社名をRignite Inc.へ改めて、グーグル本社やスタンフォード大学に近いマウンテンビュー市へ移っている。中村崇則社長は当時のインタビューで、情報技術の分野では米国から世界へ広がる流れが主流であり、その土地で業界の空気に浸りながら事業を伸ばしたいと語っていた[1][2]

米国事業には経営陣を厚く配していた。役員の経歴によれば、創業以来の取締役である松嶋祥文氏が2011年4月からRignite Inc.のCEOを務め、中村社長自身も同社のDirectorに就いている。米国市場は先進国では珍しく人口が増え、市場規模は日本の約5倍とみられていた。そこで売れるサービスは世界へ広げられるという読みが、拠点設置の前提に置かれていた[3][4]

国内で伸びていたクラウドと、開発拠点としての海外

一方、国内の事業は米国とは別の速さで伸びていた。2015年3月期の連結売上高は34億1,300万円で、内訳はクラウド事業が22億3,700万円と全体の66%、IT人材事業が11億7,500万円と34%であった。連結従業員は346名にとどまり、経費精算の「楽楽精算」やメール共有の「メールディーラー」など複数のサービスを国内で売り伸ばす段階にあった[5][6]

海外の使い方も、この時期に組み替えが進んでいた。2014年5月、ラクスはベトナム・ホーチミン市に100%子会社RAKUS Vietnam Co., Ltd.を設立している。米国が自社サービスを売る場であったのに対し、ベトナムはクラウドサービスを作る場であった。海外拠点を2つ抱えたまま、どちらに資源を寄せるかという選択が、上場準備と並行して迫っていた[7]

決断

全株式の譲渡と、譲渡額に表れた規模

2015年1月、ラクスは連結子会社Rignite Inc.の全株式を譲渡した。株式の売却価額は602万7千円である。連結決算では株式売却益1,237万円とソフトウエア売却益1,704万円をあわせ、関係会社整理益2,941万円を特別利益に計上した。連結除外にあたっては、それまで積み上がっていた為替換算調整勘定4,424万円のマイナスも同時に処理されている[8][9]

連結と単体では、同じ譲渡の見え方が逆になった。提出会社単体の決算では、関係会社株式売却損1億1,922万円からソフトウエア売却益1,704万円を差し引いた1億218万円が関係会社整理損として計上されている。ラクス本体が4年近く米国子会社へ入れてきた資金は、株式としては回収されなかった。2015年3月期の単体経常利益5億5,577万円に対して当期純利益が3億5,487万円にとどまった一因が、ここにある[10][11]

人を戻し、成長サービスへ集める

撤退は資産の処分だけで終わらなかった。Rignite Inc.のCEOであった松嶋祥文氏は、2014年2月に取締役グローバル開発事業部長へ、譲渡の翌月にあたる2015年2月には取締役戦略企画部長へと担当を移している。米国で自社サービスを売るために置いた人材が、国内の戦略立案と開発の側へ戻された。中村社長自身も、米国での失敗は日本企業のまま振る舞ったことにあるとかつて語っていた[12][13]

撤退後の方針は、上場後最初の有価証券報告書に明文化された。対処すべき課題の筆頭には成長サービスへの集中・強化が挙げられ、経営資源を成長サービスに集めて各分野で一定の市場占有率を取ることが目標として書かれている。事業等のリスクでも海外子会社はクラウドサービスの一部を開発する存在として説明され、海外に販売機能を持たない体制が前提となった[14][15]

結果

上場と「楽楽精算」への集中投下

撤退から11か月後の2015年12月、ラクスは東京証券取引所マザーズに上場した。上場後最初の通期となる2016年3月期の連結売上高は40億7,700万円、営業利益7億8,400万円、経常利益7億7,600万円、親会社株主に帰属する当期純利益5億2,600万円で、いずれも過去最高となり、16期連続の増収と15期連続の黒字を達成している。米国事業を抱えていた頃より収益の伸びは速くなった[16]

資源の向け先も明示された。2016年5月13日の決算説明資料は、2017年3月期の経営方針として高収益の複数サービスが生み出す資金を成長サービスへ集中投下すると掲げ、次期主力の「楽楽精算」への投資を強め、メールディーラーは成長と利益貢献の均衡を重視し、その他のサービスは費用を抑えて利益貢献を優先すると三段に整理した。楽楽精算では認知度向上のためテレビ広告も投じられている[17]

海外拠点の役割の入れ替わり

米国から退いた後も、ラクスは海外拠点を持ち続けた。ただし役割は変わった。ベトナムの開発子会社はクラウドサービスの開発を担い、販売は国内に集約された。2024年12月にはインドネシアのPT. Cipta Piranti Sejahteraへ14.9%を出資し、2025年4月にはジャカルタ首都特別州に100%子会社PT. Reformasi Kerja Solusiを設立している。少額出資から現地法人へ段階を踏む進み方は、2011年の米国とは対照的であった[18]

米国撤退はその後も同社を語るときの参照点として残った。2021年7月、ラクス株の急伸で中村社長が世界の富豪の一角に入ったことを伝えたBloombergの記事は、見出しに米国進出の失敗を糧にしたという趣旨を掲げている。設立から3年9か月で畳んだ600万円の譲渡が、国内クラウドへの集中という後年の説明を支える一節として引かれた[19]

出典・参考

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