トレンドマイクロ の歴史

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創業 1989年
創業者 張明正
創業地 東京都品川区
創業
1989年10月、英ロンローパシフィックの子会社として、東京都品川区に株式会社ロンローインターナショナルネットワークスが設立された。基本ソフトの輸入販売を目的とした会社で、前年に台湾出身の張明正(スティーブ・チャン)氏らが米国で興したウイルス対策ソフトの事業が母体である。1992年1月に株式会社リンクへ社名を変え、同年7月には親会社が台湾のTrend Micro Incorporatedへ移った。1996年5月にトレンドマイクロ株式会社へ改称し、同年10月から11月にかけて台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社株式を取得して、日本法人がグループの持株会社になった。開発を台湾、販売を各国の現地法人、上場と資本政策を東京に置く分業がここで決まる。
決断
就任3か月で全国規模の障害を起こした社長が、21年その席にいる。1999年3月、株式公開で得た100億円強を米国の販売会社買収へ充てる当初案を撤回し、自社株消却で調達資金を市場へ返した。2005年1月、創業者の張明正氏が会長へ移り、最高技術責任者だった義妹のエバ・チェン(陳怡樺)氏が創業者から社長兼CEOを引き継いだ。その3か月後の4月23日、配信したパターンファイルの不具合で全国のパソコンが動作不能になり、配信開始から1時間半で約17万人が問題のファイルを取得した。来日したチェン氏が陣頭で謝罪し、検証工程の二重化を即日発表し、自らの報酬を594円とした。企業買収も借入も避けた会社が2016年に初の大型買収へ動けたのは、そのあいだ経営者を替えず、手元資金を減らさずに残したからである。
現況
人を減らした3年で、営業利益は313億円から577億円へ増えた。連結従業員は2022年12月末の7,669名を頂点に、2025年12月末で6,717名まで減っている。同じあいだ売上高は2,237億円から2,759億円へ伸び、営業利益率は14.0%から20.9%へ戻った。2026年2月には利用量に応じてクレジットを消費する『TrendAI Flex』を発表し、複数年分を前倒しで積む販売から、初年度の新規獲得を厚く報いる形へ売り方を替えている。2025年10月に台湾Wistron・NVIDIAとソブリンAIの合弁Magna AIの設立に基本合意し、2026年4月には法人向け事業そのものをTrendAIとして名乗り直した。守る側だった会社がAIの計算基盤を建てる側へ広がれたのは、577億円まで戻した営業利益がその資金を用意したからである。
競合
競争の焦点は検出率ではなく、何種類の防御を一つの契約に載せられるかにある。パソコン向けウイルス対策で国内首位を占めた時代、同社は米国勢に対し自社製品と販売提携だけで競った。市場が成熟して内製の延長では伸びが細ると、2016年3月に米HPからネットワーク侵入防御のTippingPoint事業を約318億円で取得する。2019年10月にはクラウド設定を監査するCloud Conformity、2022年9月には車載向けのVicOne Inc.を加え、これらを『Trend Vision One』という一つの契約へまとめた。守る対象を買い足すたびに世界の販売網へ載せてきたことが、本社と最大市場を同じ国に置いたまま、売上の68%を国外で立てる構成を作った。
トレンドマイクロ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2003年12月期2025年12月期

創業ストーリー 東京に本社を置いた台湾発ベンダーと事業基盤の拡充 (1988年〜)

なぜ日本法人をグループの親会社にしたのか

日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に設立された。当時の社名は株式会社ロンローインターナショナルネットワークスで、設立時の事業目的はコンピュータの基本ソフトウェアの輸入販売に置かれ[1]、ウイルス対策はその中の一製品ラインでしかなかった。台湾と米国で生まれた技術を、日本の企業顧客とコンシューマ市場に売り込む前線拠点として位置する設計だった。当時、日本法人は数ある販売拠点の一つにすぎず、のちにグループ持株会社となる将来は想定されていなかった。

  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [1]日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に株式会社ロンローインターナショナルネットワークスとして設立、事業目的はOS輸入販売

1992年1月には株式会社リンクに商号を変え[2]、同年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式が譲渡されて、親会社が台湾本社に交代する。[3]1996年5月にはトレンドマイクロ株式会社へ社名を変更し[4]、同年10月から11月にかけて台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得、日本法人がグループの持株会社となる再編が完了した。[5]創業の地は米国と台湾だが、連結決算と上場の主体はあえて東京に据えられた。日本の資本市場で調達した資金を、台湾の研究開発と各国販売網へ回す構造を選んだことで、以降の会計・開示・資本政策はすべて東京本社の時間軸で動いた。米国にも台湾にも置けた親会社の置き場所を日本に定めた判断が、その後の二重上場や多国籍展開の土台となる。

  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [2]1992年1月に株式会社リンクへ商号変更
    • [3]1992年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式譲渡、親会社が台湾本社へ交代
    • [4]1996年5月にトレンドマイクロ株式会社へ社名変更
    • [5]1996年10〜11月に台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得し、日本法人がグループ持株会社となる再編が完了
  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [1]日本法人は1989年10月、英国Lonrhoグループ傘下のロンローパシフィック株式会社の子会社として東京都品川区西五反田に株式会社ロンローインターナショナルネットワークスとして設立、事業目的はOS輸入販売
    • [2]1992年1月に株式会社リンクへ商号変更
    • [3]1992年7月にロンローパシフィックから台湾Trend Micro Incorporatedへ株式譲渡、親会社が台湾本社へ交代
    • [4]1996年5月にトレンドマイクロ株式会社へ社名変更
    • [5]1996年10〜11月に台湾本社の株主から台湾・米国・韓国・ドイツ・イタリアの関係会社全株式を取得し、日本法人がグループ持株会社となる再編が完了

半年で揃えた多国籍ベンダーの骨格

1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整うと[6]、翌1997年には豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続き[7]、1998年にはフィリピンオフィスを開設、翌1999年7月には英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立して拡張が続いた。[8]短期間でこれだけの多国籍販売網を整える例は、同時期のウイルス対策業界でも限られていた。当時のアンチウイルス市場は各国の地場ベンダーが分立しており、世界同時にパターンファイルを配布できる体制を持つこと自体が差別化の源泉だった。米国勢と欧州勢がそれぞれの母国市場を主戦場にしていたのに対し、同社は台湾発という中立性を武器に、アジアと欧州の双方へ橋渡しする形でまず面を取りに行った。持株会社化と世界展開が半年のうちに重なったのは、日本の資本市場での調達と、グループ全体の連結決算を同じ箱の中でまとめて見せるためでもある。

  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [6]1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整った
    • [7]1997年に豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続いた
    • [8]1998年にフィリピンオフィスを開設、1999年7月に英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立

この拠点網を使って、1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録[9]、1999年7月には米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場した。[10]コンシューマ向けにはPC-cillinとウイルスバスターを、法人向けにはInterScan VirusWallやScanMail for Microsoft Exchangeを揃え、PC・サーバ・メール・ゲートウェイの各レイヤーへ製品の幅を広げた。単一製品に収益を寄せず、家庭のパソコンから企業のメールサーバまでを面で守る型を組み上げていく段階にあった。1996年の持株会社化からわずか3年でNASDAQまで辿り着いた展開の速さは、研究開発を台湾、販売を各国現地法人、上場と資本政策を東京に分けるグループ分業が機能していた証左である。

  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [9]1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録
    • [10]1999年7月に米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場
  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】
    • [6]1996年11月の一括買収で5か国に拠点を持つ体制が整った
    • [7]1997年に豪州・フランス・マレーシア・香港の子会社設立とブラジル法人のグループ編入が続いた
    • [8]1998年にフィリピンオフィスを開設、1999年7月に英国法人Trend Micro (UK) Limitedを設立
    • [9]1998年8月に日本証券業協会の店頭売買有価証券として登録
    • [10]1999年7月に米国NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場

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トレンドマイクロの沿革1989〜2026年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1988〜1999年東京に本社を置いた台湾発ベンダーと事業基盤の拡充日本法人を設立
リンクに商号変更
親会社がTrend Micro Incorporatedに交代
トレンドマイクロに商号変更
日本法人がグループ親会社となる再編を実施★★
米・独・韓・伊の海外子会社を一括買収
豪・仏・マレーシア・香港子会社を相次ぎ設立
株式公開で得た資金を米国買収に投じず市場へ返した資本政策

1998年8月、トレンドマイクロは日本証券業協会に株式を店頭登録し、公募で100億円強を調達した。当初はこの資金の多くを米国のディーラー買収に充て、自社のアンチウイルスソフトを米国で拡販する計画だった。だが同社は買収を見送り、パートナーシップで足りると判断して自社株消却へ定款を変更し、調達資金を市場へ返す方針へ切り替えた。上場資金に頼らない資本政策のあり方を定めた判断。

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★★★
NASDAQに米国預託証券(ADR)を上場
2000〜2015年東証一部上場とエンドポイント一本足の時代東京証券取引所一部に株式を上場
日経平均株価の算出銘柄に採用
エバ・チェン創業者スティーブ・チャンからエバ・チェンへの社長兼CEO承継

2005年1月、トレンドマイクロは創業者のスティーブ・チャン氏が会長に退き、最高技術責任者だった義妹のエバ・チェン氏が社長兼CEOに就いた。台湾出身の創業チームが米国で起業し日本に本社を置いた多国籍企業のかじ取りを、技術とマーケティングの双方を統べる非日本人の女性経営者に託した承継。

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★★★
エバ・チェンNASDAQからADRを上場廃止★★
エバ・チェンMobile Armor Inc.を買収
エバ・チェンCloud Conformity Inc.を取得★★
エバ・チェン自動車サイバーセキュリティ子会社VicOne Inc.を設立
エバ・チェンAnlyz Inc.とインドAnlyz Cybersecure Private Limitedを取得
エバ・チェン通期業績がV字回復
エバ・チェン詐欺対策アプリ「トレンドマイクロ 詐欺バスター」販売開始
エバ・チェンAgentic SIEM・Trend Cybertronを発売
エバ・チェン法人向けサイバーセキュリティ事業を「TrendAI」としてブランド化
出典・参考
  • トレンドマイクロ 有価証券報告書 第19期(2007年12月期)【沿革】

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