創業者スティーブ・チャンからエバ・チェンへの社長兼CEO承継

台湾発・日本本社の多国籍ベンダーは、なぜ技術と交渉を兼ねた義妹に頂点を託したのか

更新:

時期 2005年1月
意思決定者 スティーブ・チャン氏 トレンドマイクロ 創業者・会長(当時)
論点 創業者からの世代交代と多国籍経営体制の確立
概要
2005年1月、トレンドマイクロは創業者のスティーブ・チャン氏が会長に退き、最高技術責任者だった義妹のエバ・チェン氏が社長兼CEOに就いた。台湾出身の創業チームが米国で起業し日本に本社を置いた多国籍企業のかじ取りを、技術とマーケティングの双方を統べる非日本人の女性経営者に託した承継。
背景
同社はウイルスバスターで国内シェア8割を握り、1996年12月にはソフトバンクの出資を受けて日本支社を本社へ格上げし、1998年に店頭公開した。チャン氏は資本市場と製品の両面で会社を育てたが、成長の主戦場が米国と法人市場へ移るなか、技術と交渉の両輪を担える後継者を必要としていた。
内容
後継に指名されたチェン氏は台湾・東南アジア、のち米国市場を統括し、CTOとしてインテルやシスコシステムズを相手に渡り合ってきた人物。チャン氏は「技術とマーケティングの両方がわかる数少ない人物」と全幅の信頼を寄せた。日本に本社を置きながら経営の中枢を非日本人が担う多国籍企業の体制が、ここで固まった。
含意
チェン体制はその後20年以上続き、就任直後の大規模障害を越えて連結売上高は2005年の730億円から2023年の2,486億円へ伸びた。インド出身のマヘンドラ・ネギ氏ら多国籍の幹部が経営を担い、国境で人を選ばない経営が同社の骨格となった。
筆者の見解

筆者見解

トレンドマイクロの承継は、創業者が身内の後継に道を譲ったという点では同族的でありながら、選ばれたのが技術と交渉を兼ね備えた非日本人の専門経営者であった点で、当時の日本企業の常識から外れていたとみることができる。日本に本社を置き東証に上場する会社が、台湾出身の女性をCEOに戴く姿は、多国籍という同社の出自を経営の形にまで貫いた選択だったといえる。

一方で、創業家の血縁による承継が、長期にわたる一人のリーダーへの集中を生んだ面も見落とせない。20年を超えるチェン氏の在任は経営の一貫性をもたらした半面、次の世代への引き継ぎという課題を先送りにしてきたともみられる。国境を越えて人を集める思想を掲げた会社が、最上位の承継でも同じ原則を貫けるのか、その答えはこれから問われる段階にあるとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

台湾発・日本に本社を置いた多国籍ベンダー

トレンドマイクロは1988年、台湾出身のスティーブ・チャン氏とエバ・チェン氏らの創業チームが米国で興したウイルス対策ソフトの会社に始まる。1996年には日本法人がグループの持株会社となり、連結決算と上場の主体を東京に据えた。主力の「ウイルスバスター」は国内で8割のシェアを握り、日本市場では最も身近なセキュリティ製品として広く知られていた。個人向けの常駐ソフトを看板にしながら、企業顧客への売上を年々積み増す段階にあった[1][2]

創業者チャン氏の資本づくりと後継の育成

同社は1996年12月、かねて接近していた米マカフィーの買収提案を退け、旧知の孫正義氏が率いるソフトバンクから35億円の出資を受け入れた。これを機に日本支社を本社へ格上げし、1998年8月の店頭公開へ照準を合わせた。公開では公募で100億円強を調達したが、チャン氏は米国のディーラー買収に充てる当初案を撤回し、パートナーシップで足りると判断して、調達資金を自社株消却により市場へ返す構えをとった。約束どおりの使い道をしないなら市場に返すのが筋、というのが本人の弁であった[3][4]

そのチャン氏の下で頭角を現していたのが、義妹のエバ・チェン氏であった。当初は台湾と東南アジア、のちに最激戦市場である米国を統括し、CTOとして海千山千のエンジニアを率いるかたわら、インテルやシスコシステムズ、マイクロソフトといった巨大企業を相手に交渉役を務めた。技術とマーケティングの双方に通じる稀有な経歴は、成長の主戦場を海外と法人市場へ移そうとする会社にとって、次の経営者に求める要件とそのまま重なっていた[5]

決断

2005年1月、義妹CTOへの承継

2005年1月、トレンドマイクロはスティーブ・チャン氏が会長へ退き、CTOだったエバ・チェン氏を社長兼CEOに据える経営承継を実施した。個性の強い創業者からの交代に、チェン氏自身は「その後任となって緊張している」と語りつつ「自信はある」と応じた。チャン氏は「技術とマーケティングの両方がわかる数少ない人物。その点では僕より上」と全幅の信頼を寄せ、後継に技術と市場の双方を束ねられる人物を選んだ理由を明かした[6]

交代は業績が伸び盛りの時期に行われた。承継の年である2005年12月期の連結売上高は730億円、当期純利益は186億円で、米国会計基準で開示する成長企業として国内でも代表格に数えられていた。台湾出身の創業者が米国で起業し、日本に本社を置いて株式を公開し、サポートセンターはフィリピンに構える——その多国籍企業の頂点に、非日本人の女性経営者が座る体制が、ここで固まった[7][8]

結果

20年続いたチェン体制

チェン氏の就任からほどなく、同社は自社製品の検証を怠ったパターンファイルの配信により大規模なPC障害を引き起こす試練に直面した。だが体制はそこで揺らがず、チェン氏は20年以上にわたり社長兼CEOを務め続けた。連結売上高は就任時の2005年730億円から2007年998億円、2023年2,486億円へと伸び、セキュリティ専業から多層防御やクラウドへと事業の裾野を広げていった。承継は一過性の交代ではなく、長期の一貫した経営へと結実した[9][10]

多国籍プロ経営陣の深化

承継後のトレンドマイクロは、非日本人の幹部が経営の中枢を占める色合いをさらに濃くした。インド出身のマヘンドラ・ネギ氏はその代表格で、2007年の誌上対談では、ソフトウエア業界で本当の価値を生むのは「100人中の20人」であり、その優秀な人材には世界中からオファーが集まると語った。国籍や住宅、教育のインフラまで整えて人材を招くシンガポールやドバイを引き合いに、人を国境で選ばない発想を説いた[11]

ネギ氏は同じ対談で、中国の開発拠点を創業者チャン氏らと視察した際、担当者が連休を返上して自主開発した製品を披露したエピソードを挙げ、給与が10分の1の中国の技術者にどう向き合うかを日本の開発陣に突きつけた。日本に本社を置きながら台湾や中国に研究開発を分散し、多国籍の人材で戦うという発想が、経営の底流に流れていた。チェン氏への承継は、そうした国境をまたぐ経営の体制を象徴する一手であった[12]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 1997年6月14日号「産業ワクチンソフト 大流行の裏側『マクロウイルス』に注意せよ!」
  • 週刊東洋経済 1999年3月13日号「ザ・トーク トレンドマイクロ スティーブ・チャン社長」
  • 週刊東洋経済 2005年3月5日号「トップの履歴書 エバ・チェン トレンドマイクロ社長兼CEO」
  • 週刊東洋経済 2007年10月20日号「対談 世界の人材争奪戦について語ろう 宋文洲×マヘンドラ・ネギ」
  • トレンドマイクロ 有価証券報告書(2005年12月期・連結)

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