三三株式会社が東京都新宿区市谷田町に登記されたのは2007年6月11日である。設立の目的は名刺管理サービスの提供、ただ一つだった。創業した寺田親弘氏は1976年生まれ、1999年に慶應義塾大学環境情報学部を出て三井物産に入社し、情報産業部門に配属されている。新しい事業が生まれる場を、支える側から繰り返し見た経歴である。実業家の父を持ち起業志向は強かったと本人は語っており、勤めを辞めて選んだ題材が名刺だった。 [1]
題材の選び方には理屈があった。『やるなら世の中の困り事を解決したいと思い、目をつけたのが名刺だ』[引用元]と寺田氏は後に振り返っている。あの名刺はどこへ行ったという悩みは、当人が商社で働くあいだに繰り返し味わったものだった。加えて、世界で100億枚あるといわれる紙がやり取りされながら、その情報はほとんど誰の資産にもなっていない。個人の引き出しには溜まるが、会社としては社内の誰がいつ誰と会ったのかすら分からない。売れる商品が足りないのではなく、すでに手元にある情報が使われていない。市場の大きさではなく、放置された不便の広さに賭けて出発した。
最初のサービス『Link Knowledge』は、設立から3か月後の2007年9月に始まった。名刺をスキャナーで読み取ると氏名・会社・役職・メールアドレスがクラウドに保存され、社内で共有される。担当者が異動しても退職しても、蓄積は会社の側に残る。誰がいつ誰と会ったかが全社で見える状態を、名刺という既存の商習慣を変えずに作る仕組みだった。ここで同社が採った手立ては、当時の技術水準からすれば後ろ向きに見えるものである。読み取りを機械に任せきらず、人間のオペレーターによる入力を組み合わせた。名刺のデータ化精度は99.9%に達している。 [2]
手作業を残す判断は、のちに競合との差になった。アナログ情報のデータ化を18年続けたことでノウハウが溜まり、それがあるからこそAIを適切に使えていると寺田氏は2025年の説明会で述べている。逆にこうしたデータを持たない企業がAIを有効に使うのは難しい、とも語った。もっとも、これを最初から競争優位として設計したわけではないとも断っている。課題の解決方法として何が適切かを考えた結果そうなった、というのが本人の説明である。 [3]
転換の前に、同社は間口を広げる一手を打っている。2012年2月に始めた個人向け名刺アプリ『Eight』である。法人が買う道具として作ってきた仕組みを、個人が無料で使える形に開いた。会社の予算を通さずに一人の担当者が使い始められるため、法人契約とは別の経路で利用者が増える。収益は後から考えるという前提で、当面は費用だけが出る事業だった。法人向け一本足の会社が、採算の見えない二本目をこの時期に持ったことは、のちに事業構成を語るうえで効いてくる。名刺を扱うという一点は動かさずに、売る相手のほうを変えた選択でもある。 [4]
2013年4月の第三者割当増資で約5億円を調達したところから、資金の入り方が変わった。2014年5月に約14億円、2016年1月に約20億円、2017年7月に約42億円、2018年12月に約30億円。上場前の5年間で集めた額はおよそ100億円にのぼる。創業から6年で5,000万円という水準から見れば、桁が二つ動いた。投資して赤字でも顧客を取りに行くという決定が、資本政策の側にそのまま現れている。創業者の持株比率は増資のたびに薄まった。その希薄化を引き受けたうえでの判断である。 [5]
集めた資金の使い道は、売上を追う費用ではなく市場を作る費用だった。2018年5月期の連結売上高は73億2,400万円、これに対し販売費及び一般管理費は89億5,003万円で、売上を上回っている。営業損益は30億6,145万円の赤字だった。翌2019年5月期も売上102億600万円に対し販管費94億5,818万円、営業赤字8億4,974万円が残る。売上総利益率が8割を超えるソフトウェア事業で、それでもなお赤字が出るのは、獲得と開発に前倒しで金を投じたためである。原価が安い商売ほど、費用の大半は経営者が自分で決めた投資になる。
この型が普遍的に正しいわけではない。同じ時期に同じ論法で資金を集め、費用だけを残して消えたソフトウェア企業は少なくない。赤字を掘ること自体は戦略ではなく、掘った先に回収の仕組みがあるかどうかで分かれる。同社の場合、直近12か月平均の解約率が2019年5月期時点で0.66%まで下がっており、いったん契約した企業がほとんど離れない状態にあった。同社自身、自助努力でこれ以上下げる余地は少ないとして1%以下の維持を重視する水準だと述べている。先に費用を出しても後年の売上が積み上がる構造が、数字で確認できていた点が、他の多くの赤字企業との違いである。 [6]
2013年8月、サービス名を『Link Knowledge』から『Sansan』へ改め、同じ月にテレビCM第1弾『面識アリ』篇の放送を始めた。当時、法人向けソフトウェアがマス広告を打つ例は珍しかった。買い手は企業の担当者であって視聴者ではないため、費用対効果の説明が立ちにくいからである。それでも同社はこの手段を選び、以後も継続した。後年の『それさぁ、早く言ってよ〜』[引用元]を含め、テレビCMは同社を語るときに最初に挙がる記号になっている。広告費は決算の重荷であり続けたが、名前を知らせる手段としては最短だった。 [7]
広告が売ったのは製品ではなく分類だった。名刺をクラウドで共有するという行為には、それまで名前がついていない。買おうと思っても予算科目が立たず、稟議に書く言葉がない。テレビCMは、名刺管理という区分が世の中にあることを先に知らせ、担当者が社内で説明できる状態を作った。市場を取りにいく前に市場の呼び名を作る手順は、需要が顕在化していない商材ではしばしば必要になる。立ち上げ初期の最大の課題は市場をどう作るかにあり、市場が確立してはじめて競合が増え始める、と寺田氏は後年に整理している。 [8]
商号の変更もこの流れの中にある。2014年3月、本社を東京都渋谷区神宮前へ移し、社名を三三株式会社からSansan株式会社に改めた。サービス名と社名を一致させ、表記もローマ字へ統一している。会社の名前を製品に合わせる順序であって、その逆ではない。市谷田町から四番町、九段南と続いた本社の移転は、社員が増えるたびに手狭になった結果でもある。名刺管理という言葉と会社の名前を重ねる作業が、この時点で一通り終わった。 [9][10]
2019年6月19日、東京証券取引所マザーズに上場した。公開価格は4,500円、公募により約21億円を調達している。同年7月には第三者割当増資で約47億円を追加している。2019年5月末の株主構成では、寺田氏が37.1%を持つ。以下にDCM Ventures、INCJ、ジー・エス・グロース・インベストメント、ニッセイ・キャピタルといった投資家が並んだ。5年で100億円を集めた結果が、そのまま資本の顔ぶれになっている。 [11][12][13]
上場後最初の決算発表で、同社は2020年5月期の黒字化計画を示した。実績もそのとおりになる。2020年5月期の連結売上高は133億6,200万円、営業利益7億5,727万円で、これが上場後初の営業黒字である。前期まで積み上げた費用が、契約の継続によって回収に転じた期である。もっとも、黒字化それ自体は目的ではなかった。『必要な投資をしながらも、黒字化が見込める段階になったので上場した』[引用元]と寺田氏は述べており、順序としては投資が先、黒字が後、上場はさらに後になる。
上場時点で残っていた課題は二つある。一つは国内の浸透率で、法人向け契約件数は5,800件超、従業員ベースの国内カバー率は1%前後だった。理論上は利用者を100倍にできると寺田氏は語っている。もう一つは海外で、2015年10月にシンガポールへ子会社を置いて以来、目立った収益は生まれていない。世界にインパクトを残すという目標からすればまだ何もできていない、というのが本人の自己評価だった。国内の余地が大きいという説明と、海外が立ち上がらないという事実は、同じ時期に並んで存在していた。 [14]
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|---|---|---|---|---|
| 2007〜2012年商社を辞めた寺田氏が名刺の山に見た、まだ誰も値段をつけていない資産 | 寺田親弘 | 三三を設立 | ★★ | |
| 寺田親弘 | 名刺管理サービス「Link Knowledge」の提供を開始 | ★★ | ||
| 寺田親弘 | 本社を移転 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 個人向け名刺アプリ「Eight」の提供を開始 | ★★ | ||
| 2013〜2019年黒字をやめた年から上場まで、赤字を掘りながら市場そのものを作った7年 | 寺田親弘 | 「Link Knowledge」を「Sansan」に名称変更 | ★ | |
| 寺田親弘 | 黒字経営から赤字先行投資への転換と、法人向け名刺管理サービス初のテレビCM放映 2013年、Sansan(当時の商号は三三株式会社)が自己資金で支出を抑える黒字経営をやめ、第三者割当増資で得た資金を、法人向けソフトウェアとしては異例のテレビCMへ投じた経営判断。同年8月1日にサービス名を『リンクナレッジ』から『Sansan』へ改め、8月4日から関東・関西エリアでCM第1弾『面識アリ』篇の放映を始めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 寺田親弘 | 本社を移転 | ★ | ||
| 寺田親弘 | Sansanに商号変更 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 子会社Sansan Global Pte. Ltd.を設立 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 第三者割当増資により約42億円を調達 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 東京証券取引所マザーズ市場に上場 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 公募増資により約21億円を調達 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 第三者割当増資により約47億円を調達 | ★ | ||
| 2020〜2026年名刺の外へ広がった請求書と契約書、そしてAIが前提そのものを動かし始めた現在地 | 寺田親弘 | 経理DXサービス「Bill One」の提供を開始 | ★★ | |
| 寺田親弘 | ログミーを子会社化 | ★ | ||
| 寺田親弘 | AI契約データベース「Contract One」の提供を開始 | ★ | ||
| 寺田親弘 | クリエイティブサーベイを子会社化 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 言語理解研究所を子会社化 | ★ | ||
| 寺田親弘 | 子会社Sansan Global (Thailand) Co., Ltd.を設立 | ★ | ||
| 寺田親弘 | かえでIRアドバイザリーを子会社化 | ★ |
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事実根拠:出所(Sansan)