英国原発「ホライズンプロジェクト」の凍結と撤退
約3000億円を投じた案件をどこで見切るか——日の丸原発輸出の柱をめぐる損切り
更新:
- 概要
- 2019年1月17日、日立製作所が英国での原子力発電所新設計画「ホライズンプロジェクト」の凍結を正式に決定した経営判断。東原敏昭社長のもとで進められ、2019年3月期に約3000億円の損失を計上し、翌2020年9月には事業運営からの撤退へと踏み切った。安倍政権が成長戦略の柱に据えた原発輸出構想の中核が、経済合理性を理由に断念された。
- 背景
- 日立は2012年に独電力会社2社から英国の原発開発会社ホライズン・ニュークリア・パワーを約892億円で買収し、ウェールズ地方アングルシー島で自社製炉2基の新設を進めていた。だが安全規制対応と労務費高騰で総事業費は当初の約2兆円から約3兆円へ膨らみ、再生可能エネルギーの普及で電力の固定買い取り価格も想定を下回ることが避けられなくなっていた。
- 内容
- 日立はホライズンを連結から外す「非連結化」を計画実行の条件とし、50%超を出資する第三者を英政府・日本政府の協力も得て探した。しかし採算性が不安視され出資者は現れず、最終投資判断を予定した2019年初頭に凍結を決断。今2019年3月期の純利益見通しは4000億円から1000億円へ下方修正された。
- 含意
- 過半を社外取締役が占めるガバナンス体制のもとで、中西宏明会長が主導した「聖域」的な案件に経済合理性の物差しが貫かれた。東芝の米ウエスチングハウス、三菱重工業のトルコ計画に続く撤退で日本メーカーの原発輸出は総崩れとなり、焦点は国内原子力事業の再編へ移った。
見切りの巧拙と、社会インフラの選択
この判断の芯にあるのは、いつ見切るかという問いであった。約3000億円という損失は、普通の企業なら経営危機に陥りかねない規模でありながら、最終投資判断を控えた年初での凍結は、これ以上費用が積み上がる前に止めるという意味で相応に理にかなった選択だったとみることができる。もっとも、そもそもホライズンを抱えたこと自体、あるいはもっと早く手を引く余地がなかったかという問いは残る。総費用が3兆円へ膨らみ、まだ実行を決めていない案件に3000億円を投じていた事実は、経済合理性を超えた使命感が判断をどれだけ引き延ばしうるかをうかがわせる。
見方を変えれば、これは社会インフラ企業が何を主力に据えるかという選択の一場面でもあった。日立は同じ時期に上場子会社の切り離しや火力・送配電の再編を進め、経済合理性を軸に事業を組み替えていた。原発輸出という国策色の濃い領域からの撤退は、その延長線上に置くことができる。技術の維持という国全体の課題を一民間企業がどこまで背負うべきか——ホライズンの幕引きは、原子力事業の再編論とともに、なお答えの定まらない問いを残したとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
原発輸出の柱としてのホライズン買収
日立製作所は2012年、独電力会社2社から英国の原発開発会社ホライズン・ニュークリア・パワーを約892億円で買収した。舞台となったのはウェールズ地方の最北西にあるアングルシー島で、日立は隣接地に自社製の原子炉2基を新設する計画を引き継いだ。国内で原発の新設が見込めないなか、海外で技術者に新設を経験させ原子力技術を維持したいという狙いが、この買収の背後にあった[1]。
ホライズンは、計画の詳細作成から許認可取得、資金調達、建設、完成後の発電収入による投資回収までを一手に担う会社であった。日立がこの会社を丸ごと抱えたのは、計画立案者にして発注者となり、確実に日立製の原子炉と機器を売り込むためであった。2017年12月には英規制当局による原子炉の包括設計審査が完了し、残る認可を取得して2019年に最終投資判断を下す段取りが組まれていた[2]。
膨らむ事業費と非連結化という条件
だが計画の採算は次第に危うくなっていった。安全基準の強化や労務費の高騰で総事業費は当初想定の約2兆円から約3兆円へ、およそ1.5倍に膨張した。一方、風力や太陽光といった再生可能エネルギーの普及によって、英国が原発新設を後押しするために35年間の固定価格で電力を買い取る制度の単価も、日立の想定より低くなることが避けられなくなっていた。長期にわたり収入ゼロが続く原発事業にとって、この二つの誤算は重かった[3]。
発注者と受注者を日立が兼ねる構図は、建設費の超過リスクを一身に負う恐れをはらんでいた。加えてホライズンが連結子会社のままでは、日立からの機器販売が内部取引となって収益に計上できず、巨額の投資がバランスシートに載って資産効率を損なう。そこで日立は「ホ社の非連結化が計画実行の条件」(西山光秋CFO)と明言し、50%超を出資する第三者を探し始めた。2018年5月には中西宏明会長がメイ英首相と会談し、政府の支援拡大を取り付けている[4]。
決断
現れなかった出資者と凍結の決断
結論から言えば、50%超を出資する第三者は現れなかった。原発は着工から稼働まで10年かかることも珍しくなく、兆円単位の先行投資をしても収入ゼロが長期間続く。総費用の膨張と買い取り価格の低下が重なった案件の採算性を投資家は不安視し、英政府や日本政府の協力を得てもなお出資者は見つからなかった。費用だけは積み上がり、2018年6月から9月のわずか3カ月でホライズンの関連費用は260億円に達していた[5]。
2019年1月17日、日立はホライズンプロジェクトの凍結を正式に決定した。これに伴い今2019年3月期に約3000億円の損失を計上し、純利益見通しは従来の4000億円から1000億円へ下方修正された。記者会見で「どこで経営判断を間違えたのか」と問われた東原敏昭社長は、「今の時点で凍結ならそれほど経営判断は間違っていない」と述べつつ、「3000億円は重く受け止めている」と付け加えた。最終投資判断を予定した年初での見切りであった[6]。
しがらみとガバナンス改革
この案件には多くのしがらみが絡んでいた。鉄道事業などで英国政府との関係を築いていたうえ、原発輸出は安倍政権が成長戦略の柱に据える構想であり、中西会長が経団連会長を務める立場からも配慮が働きやすかった。社外取締役には元経済産業事務次官の望月晴文氏が名を連ねていた。それゆえ「経済合理性が確保されなければやらない」という経営陣の言葉を、額面どおり受け取る向きは市場に多くなかった[7]。
その言葉を裏打ちしたのが、2009年3月期の巨額損失を経て強化してきたガバナンス体制であった。取締役会は11人中8人が社外取締役で、うち4人が外国人という構成に変わっていた。「10年前ならトップがやると言えばできた。今の日立は経済合理性をギリギリと詰められる」と部門幹部が語ったように、中西会長主導の案件にも経済合理性の物差しが適用された。国の意向や技術維持の使命感が判断を甘くしかねない「聖域」に、社外の目が歯止めをかけた格好であった[8]。
結果
凍結から撤退へ、日の丸原発の総崩れ
凍結から約20カ月後の2020年9月16日、日立はホライズンプロジェクトの事業運営からの正式撤退を発表した。凍結後も英政府や国内電力大手との交渉は進まず、新型コロナウイルスの感染拡大で投資環境がいっそう厳しさを増したことも背景にあった。凍結に伴い2019年3月期に減損等約2946億円を計上しており、安倍政権が成長戦略の柱としてきた原発輸出構想は、その中核を失った[9]。
撤退は日立一社の問題にとどまらなかった。東芝はすでに海外の原発新設から撤退し、米ウエスチングハウスの経営破綻で巨額損失を被っていた。三菱重工業もトルコの計画を事実上断念しており、日本メーカーの原発輸出は総崩れとなった。各社の原子力事業は国内で高い収益性を保つ一方、技術者に新設を経験させる場を海外に失い、焦点は国内原子力事業の再編へと移っていった[10]。
- 週刊東洋経済 2019年2月2日号「日立が英原発計画を凍結 『3000億円損切り』の事情」
- 週刊東洋経済 2018年12月15日号「真価問われるガバナンス改革 英国原発の最終判断」
- 日本経済新聞(2020年9月16日)「日立、英国原子力発電所建設プロジェクト事業運営から撤退」
- 日立製作所 有価証券報告書(2019年3月期・連結・IFRS)