ミドリ十字の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

国内の赤字から、米国への輸出で抜け出した会社である。1951年7〜12月期に2,684万円の赤字を出して取締役が総辞任すると、日本ブラッド・バンクは1952年8月に国内初の紫外線照射装置を据え付け、血漿の品質を米国の水準へ合わせた。同年9月にカッター社の視察を受け、1953年2月に米国の輸入認可を得て、1954年9月まで凍結血漿を送り続けた。その結果、1954年6月期に累積赤字を消し、名古屋の採血所、都島と池田の工場、1957年7月の大証上場へと進んだ。

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