決断
薬品と機械と、液を管理する装置を一社に揃えてきた。1957年9月に本社へ薬品部を設置し、めっき用化学品の製造を開始した。朝鮮戦争の特需で戦略物資のニッケルが高騰し、その代替として光沢ニッケルめっきが広まった局面である。1960年9月には機械事業部を設けて表面処理用機械の製作を始め、第1号を川崎航空機工業へ納めた。1968年7月には枚方へ中央研究所を建設して薬品の製造部門を移転した。走査型電子顕微鏡とX線回折装置を備えた鉄筋3階建の研究所は、社内外から分不相応だという批判を受けている。1980年4月には無電解ニッケルの自動液管理装置ニムコンを仕上げた。不具合の原因が薬品か機械か液かを切り分けられる同業が他になかったことが、ハードディスク基板向けの無電解ニッケルめっき液で1996年度に国内シェア8割という位置を上村工業へ与えた。
1985年12月 プラザ合意後の10か国展開
1968年7月 枚方に中央研究所建設
枚方に中央研究所建設資本自由化で外資との競争にさらされる前提のもと、価格や規模ではなく自社開発の技術で優位を築くため、当時の会社規模に見合わない基礎研究の設備を先に持った投資同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移1967 1968 1973 売上高(億円) 26 33 71 純利益率(%) 1.8 1.4 2.9 1957年9月 めっき用化学品の製造開始
業績の推移1956 1957 1962 売上高(億円) 5 7 14 純利益率(%) 4.2 3.4 4.0