1947年に香川県丸亀市で二硫化炭素の製造を目的に設立された四国化成工業が起源。
1964年に塩素化シアヌル酸の国産化に成功し、1970年には内装壁材「ジュラックス」で建材部門へ参入した。1981年時点で塩素化シアヌル酸の国内シェア約70%を占めた化学品メーカーである。
四国化成工業は1947年10月10日、香川県丸亀市で資本金200万円をもって設立された。事業の目的は、二硫化炭素を月100トン製造して販売することに置いた。二硫化炭素は硫黄と木炭を主な原料とする溶剤で、スフ・人絹の製造とゴムの加硫に使う硫化剤だった。製法には四国化成工業が特許を持つ独自の方式を充てた。1968年刊の企業史の紹介も、創業の狙いをスフや人絹といった化学繊維向けの供給に置いていた。設立後は1948年10月に資本金を400万円、1949年6月に800万円へと倍々で増資した。戦後に再建が進む人絹工場を需要家に見込み、その原料となる硫化剤の供給に経営資源を集中したとみられる。
二硫化炭素の製造は1949年の初めに始まった。炉には従来のレトルト法などと異なり、四国化成工業が自ら開発した新しい構造の連続方式を採った。1号炉が動き出してから半年たたないうちに、2号炉の増設に踏み切った。続いて1950年に3号炉を完成させ、1955年には炉の熱源を転換した。1956年に5号炉を増設した後は、レーヨン工場で使った二硫化炭素の回収にも着手した。1962年時点の生産量は月1,900トンで、全国生産量の20.6%を占める業界1位だった。1963年時点でも二硫化炭素の生産拠点は本社に併設した丸亀工場で、徳島の2工場は別の品目を受け持った。月産は13年で設立時の目標の19倍に達しており、連続方式の炉が量の拡大を支えたと推察される。
1949年10月、四国化成工業は第三者割当増資を実施した。この増資で東邦レーヨンが資本参加した。翌1950年4月から、四国化成工業は二硫化炭素の全量を東邦レーヨンへ供給し始めた。ビスコース・レーヨンの国内外の活況に合わせて業況は拡大し、専業者のなかで国内1位の生産シェアを占めた。1962年3月末時点でも東邦レーヨンは1,241,940株を持つ筆頭株主だった。1963年3月末の持株比率は23.4%で、二硫化炭素の主な販売先の筆頭にも東邦レーヨンの名が挙がっていた。最大の需要家を株主に迎えて販路を1社に定めたことで、増設の投資を回収する見通しが立ったと考えられる。
1956年12月、四国化成工業は中性無水芒硝の企業化を決め、徳島第一工場の建設に着手した。中性無水芒硝は合成洗剤の原料で、レーヨンの工程から回収した結晶芒硝を脱水して精製した白い粉末である。背景にはスフ業界の操業短縮があり、四国化成工業は成長の続く合成洗剤の市場に目を向けた。1957年8月に第1期工事を終え、月1,000トンの操業に入った。1958年から1960年にかけて第2期から第4期までを増設し、無水芒硝でも全国1位の生産シェアを得た。1963年時点で原料芒硝は東邦レーヨンと帝人から仕入れ、製品はライオン油脂などへ販売した。レーヨン会社との取引関係が、副産物を原料として確保する際にも生きたと思われる。
1961年1月、四国化成工業はCMCの企業化を決めた。CMCはパルプとモノクロル酢酸を主な原料とする合成糊料で、合成洗剤や洗濯糊、鋳物の砂型に使われた。企業化の理由は、合成洗剤と食品の業界からの需要の多さにあった。1961年5月には徳島第一工場で月100トンの操業を始めた。1962年6月の販売実績に占める比率は5.9%で、同時期の月産は64トンにとどまった。1981年の業界誌は、このCMCの製造開始を有機化学品の分野を広げる最初の段階と位置づけた。1968年には別の品種であるS粉の製造も始め、有機化学薬品の品目の一つとして定着させた。芒硝で取引の生まれた洗剤業界へ、同じ工場から別の原料を供給できる点が品目選びに効いたと読める。
1961年8月、四国化成工業は徳島第二工場で月750トンの水硫化ソーダ設備の建設に着工した。水硫化ソーダは硫黄、苛性ソーダ、水素から作る薬品で、ビスコース・レーヨンの脱硫剤や染色助剤に使われた。工場の建設にあわせて、帝人、日清紡績、百十四銀行の資本参加が決まった。1961年10月には第三者割当を含む増資で資本金を1億円から2億円とした。1962年3月末の持株は帝国人造絹糸が800,000株、日清紡績と百十四銀行が各200,000株だった。1963年時点の二硫化炭素の販売先には、東邦レーヨンに加えて帝人と日清紡績が並んだ。水硫化ソーダは1962年に操業を始め、生産開始の直後から全国生産量の13%を占めた。繊維の需要家を株主に加えて、設備の資金と販路を同時に固めたのだろう。
1962年10月12日、四国化成工業は東京証券取引所の市場第二部に上場した。同じ10月に1億円を増資し、うち40万株を公募して資本金を3億円とした。上場株式数は6,000千株、額面は50円で、社長の多津白年氏と専務の西川謙次氏の体制で上場を迎えた。直前の1962年3月期は半期の売上高が1,005,251千円、当期純利益が75,047千円で、配当率は16%だった。同じ期末の貸借対照表には、建設仮勘定156,792千円と長期借入金210,366千円が計上された。1962年3月末に213名だった株主は、1963年3月末の年鑑では679名を数えた。工場の新設が続いて借入金が増えるなか、市場から株式で資本を調達して財務の負担を抑える狙いがあったと解される。
1964年、四国化成工業は漂白剤や殺菌剤に使う塩素化シアヌル酸の企業化に国内で初めて進出した。上場時の1962年には、1963年度中に無機薬品に加えて有機薬品の分野へ進出する方針を検討していた。候補にはゴム薬品、プラスチック建材の原料、合成繊維の加工樹脂の原料を挙げ、毎期売上高の3%を研究開発に投じていた。塩素化シアヌル酸は尿素を加熱したイソシアヌル酸を塩素化した化合物で、プールや浴場の消毒に使われる。1967年にはシアヌル酸誘導品の製造も始めた。基盤の二硫化炭素でも1962年末に6号炉、1965年に7号炉を完成させた。無機の設備を増強しつつ有機の品目を加えた経験が、1968年以降のイミダゾールや建材への展開の土台になったと推測される。
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事実根拠:出所(四国化成ホールディングス)