四国化成ホールディングス:丸亀での二硫化炭素製造の開始と東証二部上場
1947年〜資本金200万円で丸亀で創業した人絹向け二硫化炭素の事業と、連続式炉を得た東邦レーヨンの資本参加
四国化成工業は1947年10月10日、香川県丸亀市で資本金200万円をもって設立された。事業の目的は、二硫化炭素を月100トン製造して販売することに置いた。二硫化炭素は硫黄と木炭を主な原料とする溶剤で、スフ・人絹の製造とゴムの加硫に使う硫化剤だった。製法は、四国化成工業が特許を持つ独自の方式。1968年刊の企業史の紹介も、創業の狙いをスフや人絹といった化学繊維向けの供給に置いていた。設立後は1948年10月に資本金を400万円、1949年6月に800万円へと倍々で増資した。戦後に再建が進む人絹工場を需要家に見込み、その原料となる硫化剤の供給に経営資源を集中したとみられる。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [1]1947年10月10日設立、スフ・人絹等化繊向け二硫化炭素の製造を目的に資本金200万円で発足
- [5]1947年10月10日設立、スフ・人絹等化繊向け二硫化炭素の製造を目的に資本金200万円で発足
- 証券 1962年
- [2]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- [3]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- [4]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [6]資本金は1947年10月200万円、1948年10月400万円、1949年6月800万円
二硫化炭素の製造は1949年の初めに始まった。炉には従来のレトルト法などと異なり、四国化成工業が自ら開発した新しい構造の連続方式を採った。1号炉が動き出してから半年たたないうちに、2号炉の増設に踏み切った。続いて1950年に3号炉を完成させ、1955年には炉の熱源を切り替えた。1956年に5号炉を増設した後は、レーヨン工場で使った二硫化炭素の回収にも着手した。1962年時点の生産量は月1,900トン、全国生産量の20.6%を占めて業界1位。1963年時点でも二硫化炭素の生産拠点は本社に併設した丸亀工場で、徳島の2工場は別の品目を受け持った。月産は13年で設立時の目標の19倍に達しており、連続方式の炉が量の拡大を支えたと推察される。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [7]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [8]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [9]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [10]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [11]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- 証券 1962年
- [12]1962年時点の二硫化炭素生産量は月1,900トン、全国生産量の20.6%で業界1位
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [13]1963年時点の事業所は本社・丸亀工場(二硫化炭素)、徳島第一工場、徳島第二工場(水硫化ソーダ)
1949年10月、四国化成工業は第三者割当増資を実施した。この増資で東邦レーヨンが株主に加わった。翌1950年4月から、四国化成工業は二硫化炭素の全量を東邦レーヨンへ供給し始めた。ビスコース・レーヨンの国内外の活況に合わせて業況は拡大し、専業者のなかで国内1位の生産シェアを占めた。1962年3月末時点でも東邦レーヨンは1,241,940株を持つ筆頭株主である。1963年3月末の持株比率は23.4%で、二硫化炭素の主な販売先の筆頭にも東邦レーヨンの名が挙がっていた。最大の需要家を株主に迎えて販路を1社に定めたことで、増設の投資を回収する見通しが立ったと考えられる。
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [14]1949年10月に第三者割当増資、1963年3月末の大株主は東邦レーヨン23.4%、二硫化炭素の販売先に東邦レーヨン
- [19]1949年10月に第三者割当増資、1963年3月末の大株主は東邦レーヨン23.4%、二硫化炭素の販売先に東邦レーヨン
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [15]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- [16]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- [17]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- 証券 1962年
- [18]1962年3月31日現在の大株主筆頭は東邦レーヨン1,241,940株
参考文献[1]-[19]
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [1]1947年10月10日設立、スフ・人絹等化繊向け二硫化炭素の製造を目的に資本金200万円で発足
- [5]1947年10月10日設立、スフ・人絹等化繊向け二硫化炭素の製造を目的に資本金200万円で発足
- [7]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [8]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [9]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [10]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [11]1949年早々から自社開発の新構造の連続方式で製造開始、1号炉操業後半年を待たず2号炉増設、1950年3号炉、1955年熱源転換、1956年5号炉増設後にレーヨンの二硫化炭素回収
- [15]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- [16]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- [17]1949年10月東邦レーヨンの資本参加、1950年4月以降同社へ全量供給、レーヨン活況で専業者中国内1位の生産シェア
- 証券 1962年
- [2]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- [3]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- [4]1947年10月丸亀市で同社特許の二硫化炭素(硫黄・木炭原料、スフ・人絹用およびゴム加硫用の硫化剤)月100トンの製造販売を目的に発足
- [12]1962年時点の二硫化炭素生産量は月1,900トン、全国生産量の20.6%で業界1位
- [18]1962年3月31日現在の大株主筆頭は東邦レーヨン1,241,940株
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [6]資本金は1947年10月200万円、1948年10月400万円、1949年6月800万円
- [13]1963年時点の事業所は本社・丸亀工場(二硫化炭素)、徳島第一工場、徳島第二工場(水硫化ソーダ)
- [14]1949年10月に第三者割当増資、1963年3月末の大株主は東邦レーヨン23.4%、二硫化炭素の販売先に東邦レーヨン
- [19]1949年10月に第三者割当増資、1963年3月末の大株主は東邦レーヨン23.4%、二硫化炭素の販売先に東邦レーヨン
1956年〜レーヨンの結晶芒硝を精製した月1千トンの無水芒硝と、合成洗剤の伸びに乗せたCMC
1956年12月、四国化成工業は中性無水芒硝の企業化を決め、徳島第一工場の建設に着手した。中性無水芒硝は合成洗剤の原料で、レーヨンの工程から回収した結晶芒硝を脱水して精製した白い粉末である。背景にはスフ業界の操業短縮があり、四国化成工業は成長の続く合成洗剤の市場に目を向けた。1957年8月に第1期工事を終え、月1,000トンの操業に入った。1958年から1960年にかけて第2期から第4期までを増設し、無水芒硝でも全国1位の生産シェアを得た。1963年時点の原料芒硝の仕入先は東邦レーヨンと帝人、製品の販売先はライオン油脂などである。レーヨン会社との取引関係が、副産物を原料として確保する際にも生きたと思われる。
- 証券 1962年
- [20]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- [21]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- [23]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [22]スフ業界の操短に対処しつつ合成洗剤の成長性に着目し徳島で企業化、1958〜60年に第二〜四期増設、無水芒硝で全国1位の生産シェア
- [24]スフ業界の操短に対処しつつ合成洗剤の成長性に着目し徳島で企業化、1958〜60年に第二〜四期増設、無水芒硝で全国1位の生産シェア
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [25]1963年時点の仕入先(原料芒硝)東邦レーヨン・帝人、硫酸ソーダの販売先ライオン油脂・三井物産・三菱商事ほか
1961年1月、四国化成工業はCMCの企業化を決めた。CMCはパルプとモノクロル酢酸を主な原料とする合成糊料で、合成洗剤や洗濯糊、鋳物の砂型に使われる。企業化の理由は、合成洗剤と食品の業界からの需要の多さ。1961年5月には徳島第一工場で月100トンの操業を始めた。1962年6月の販売実績に占める比率は5.9%で、同時期の月産は64トンにとどまった。1981年の業界誌は、このCMCの製造開始を有機化学品の分野を広げる最初の段階と位置づけた。1968年には別の品種であるS粉の製造も始め、有機化学薬品の品目の一つとして定着させた。芒硝で取引の生まれた洗剤業界へ、同じ工場から別の原料を供給できる点が品目選びに効いたと読める。
- 証券 1962年
- [26]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [27]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [29]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [30]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [28]1961年から合成洗剤や食品業界から需要の多いCMCを徳島工場で企業化
- ヤノ・レポート 1981年9月7日
- [31]1961年5月の合成糊料CMC(B粉)製造開始を有機化学品分野拡大への第1歩と記述、1968年CMC(S粉)製造開始
- [32]1961年5月の合成糊料CMC(B粉)製造開始を有機化学品分野拡大への第1歩と記述、1968年CMC(S粉)製造開始
参考文献[20]-[32]
- 証券 1962年
- [20]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- [21]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- [23]1956年12月合成洗剤原料の中性無水芒硝(レーヨンから回収する結晶芒硝を脱水精製)の企業化を決定し徳島第一工場着工、1957年8月第一期完成・月1千トン操業
- [26]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [27]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [29]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- [30]1961年1月CMC(パルプ・モノクロール酢酸原料の合成糊料。合成洗剤・洗濯糊・鋳物砂型用)企業化決定、同年5月徳島第一工場で月100トン操業開始、1962年6月販売構成5.9%・月産64トン
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [22]スフ業界の操短に対処しつつ合成洗剤の成長性に着目し徳島で企業化、1958〜60年に第二〜四期増設、無水芒硝で全国1位の生産シェア
- [24]スフ業界の操短に対処しつつ合成洗剤の成長性に着目し徳島で企業化、1958〜60年に第二〜四期増設、無水芒硝で全国1位の生産シェア
- [28]1961年から合成洗剤や食品業界から需要の多いCMCを徳島工場で企業化
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [25]1963年時点の仕入先(原料芒硝)東邦レーヨン・帝人、硫酸ソーダの販売先ライオン油脂・三井物産・三菱商事ほか
- ヤノ・レポート 1981年9月7日
- [31]1961年5月の合成糊料CMC(B粉)製造開始を有機化学品分野拡大への第1歩と記述、1968年CMC(S粉)製造開始
- [32]1961年5月の合成糊料CMC(B粉)製造開始を有機化学品分野拡大への第1歩と記述、1968年CMC(S粉)製造開始
1961年〜帝人・日清紡績を株主に迎えた徳島第二工場と東証二部上場、国産初の塩素化シアヌル酸
1961年8月、四国化成工業は徳島第二工場で月750トンの水硫化ソーダ設備の建設に着工した。水硫化ソーダは硫黄、苛性ソーダ、水素から作る薬品で、ビスコース・レーヨンの脱硫剤や染色助剤に使われる。工場の建設にあわせて、帝人、日清紡績、百十四銀行の資本参加が決まった。1961年10月には第三者割当を含む増資で資本金を1億円から2億円とした。1962年3月末の持株は帝国人造絹糸が800,000株、日清紡績と百十四銀行が各200,000株だった。1963年時点の二硫化炭素の販売先には、東邦レーヨンに加えて帝人と日清紡績が並んだ。水硫化ソーダは1962年に操業を始め、生産開始の直後から全国生産量の13%を占めた。繊維の需要家を株主に加えて、設備の資金と販路を同時に固めたのだろう。
- 証券 1962年
- [33]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [34]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [36]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [37]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [39]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [35]水硫化ソーダ企業化と徳島第二工場建設の際に帝人・日清紡績・百十四銀行の資本参加が決定
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [38]1963年時点の二硫化炭素の販売先は東邦レーヨン・帝人・日清紡績
1962年10月12日、四国化成工業は東京証券取引所の市場第二部に上場した。同じ10月に1億円を増資し、うち40万株を公募して資本金を3億円に引き上げた。上場株式数は6,000千株、額面は50円で、社長の多津白年氏と専務の西川謙次氏の体制で上場を迎えた。直前の1962年3月期は半期の売上高が1,005,251千円、当期純利益が75,047千円で、配当率は16%だった。同じ期末の貸借対照表には、建設仮勘定156,792千円と長期借入金210,366千円が計上された。1962年3月末に213名だった株主は、1963年3月末の年鑑では679名を数えた。工場の新設が続いて借入金が増えるなか、市場から株式で資本を調達して財務の負担を抑える狙いがあったと解される。
- 証券 1962年
- [40]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [41]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [42]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [43]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [44]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [45]1962年10月12日東京市場第二部上場、1963年3月末の株主数679名
1964年、四国化成工業は漂白剤や殺菌剤に使う塩素化シアヌル酸の企業化に国内で初めて進出した。上場時の1962年には、1963年度中に無機薬品に加えて有機薬品の分野へ進出する方針を検討していた。候補にはゴム薬品、プラスチック建材の原料、合成繊維の加工樹脂の原料を挙げ、研究開発には毎期売上高の3%を投じた。塩素化シアヌル酸は尿素を加熱したイソシアヌル酸を塩素化した化合物で、プールや浴場の消毒に使われる。1967年にはシアヌル酸誘導品の製造も始めた。基盤の二硫化炭素でも1962年末に6号炉、1965年に7号炉を完成させた。無機の設備を増強しつつ有機の品目を加えた経験が、1968年以降のイミダゾールや建材への展開の土台になったと推測される。
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [46]1964年から漂白剤・殺菌剤として塩素化シアヌル酸の国内で初めての企業化に進出、1962年暮に二硫化炭素6号炉、1965年に7号炉完成
- [51]1964年から漂白剤・殺菌剤として塩素化シアヌル酸の国内で初めての企業化に進出、1962年暮に二硫化炭素6号炉、1965年に7号炉完成
- 証券 1962年
- [47]1962年時点の経営方針として1963年度中に有機薬品分野への進出を検討、候補は新規洗剤原料・ゴム薬品・プラスチック建材原料・合繊加工樹脂原料ほか、毎期売上高の3%を研究開発費に投入
- [48]1962年時点の経営方針として1963年度中に有機薬品分野への進出を検討、候補は新規洗剤原料・ゴム薬品・プラスチック建材原料・合繊加工樹脂原料ほか、毎期売上高の3%を研究開発費に投入
- ヤノ・レポート 1981年9月7日
- [49]1964年塩素化シアヌル酸の国産化、3年後(1967年)シアヌル酸誘導品の製造開始、塩素化シアヌル酸は尿素由来のイソシアヌル酸を塩素化したもので水泳プール・公衆浴場の消毒等に使用
- [50]1964年塩素化シアヌル酸の国産化、3年後(1967年)シアヌル酸誘導品の製造開始、塩素化シアヌル酸は尿素由来のイソシアヌル酸を塩素化したもので水泳プール・公衆浴場の消毒等に使用
参考文献[33]-[51]
- 証券 1962年
- [33]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [34]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [36]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [37]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [39]1961年8月徳島第二工場で水硫化ソーダ(レーヨン脱硫剤・染色助剤)月750トン新設着工、1962年操業開始・全国生産量の13%、1961年10月増資で資本金2億円、1962年3月末大株主に帝国人造絹糸800,000株・日清紡績200,000株・百十四銀行200,000株
- [40]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [41]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [42]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [43]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [44]1962年10月12日東証第二部上場、同月増資1億円(うち公募40万株)で資本金3億円、上場株式6,000千株・額面50円、社長多津白年・専務西川謙次、1962年3月期(半期)売上高1,005,251千円・当期純利益75,047千円・配当率16%、建設仮勘定156,792千円・長期借入金210,366千円、株主数213名
- [47]1962年時点の経営方針として1963年度中に有機薬品分野への進出を検討、候補は新規洗剤原料・ゴム薬品・プラスチック建材原料・合繊加工樹脂原料ほか、毎期売上高の3%を研究開発費に投入
- [48]1962年時点の経営方針として1963年度中に有機薬品分野への進出を検討、候補は新規洗剤原料・ゴム薬品・プラスチック建材原料・合繊加工樹脂原料ほか、毎期売上高の3%を研究開発費に投入
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- [35]水硫化ソーダ企業化と徳島第二工場建設の際に帝人・日清紡績・百十四銀行の資本参加が決定
- [46]1964年から漂白剤・殺菌剤として塩素化シアヌル酸の国内で初めての企業化に進出、1962年暮に二硫化炭素6号炉、1965年に7号炉完成
- [51]1964年から漂白剤・殺菌剤として塩素化シアヌル酸の国内で初めての企業化に進出、1962年暮に二硫化炭素6号炉、1965年に7号炉完成
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- [38]1963年時点の二硫化炭素の販売先は東邦レーヨン・帝人・日清紡績
- [45]1962年10月12日東京市場第二部上場、1963年3月末の株主数679名
- ヤノ・レポート 1981年9月7日
- [49]1964年塩素化シアヌル酸の国産化、3年後(1967年)シアヌル酸誘導品の製造開始、塩素化シアヌル酸は尿素由来のイソシアヌル酸を塩素化したもので水泳プール・公衆浴場の消毒等に使用
- [50]1964年塩素化シアヌル酸の国産化、3年後(1967年)シアヌル酸誘導品の製造開始、塩素化シアヌル酸は尿素由来のイソシアヌル酸を塩素化したもので水泳プール・公衆浴場の消毒等に使用
1947年〜1967年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 23 | n/a | 2 | 8.7% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 26 | +13.0% | 1 | 3.8% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 29 | +11.5% | 1 | 3.4% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 31 | +6.9% | 1 | 3.2% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 34 | +9.7% | 1 | 2.9% | n/a |
出所:会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算
出典・参考
4件
- 株式会社年鑑 1964年版「四国化成工業」
- 企業の歴史:明治百年(1968)「四国化成工業」
- 証券 1962年
- ヤノ・レポート 1981年9月7日