日立化成

の歴史

創業
1962年
創業地
東京都千代田区
創業者
上場
非上場
売上高(2020/3)
6,314 億円
営業利益(2020/3)
231 億円
従業員数(2020/3)
経営トップ
髙橋秀仁
日立化成の長期業績と経営の転換点売上高と利益率の長期推移
売上高(億円純利益率(%)

1962 日立製作所の化学部門から分離独立した材料メーカーの出発

  1. 1962年日立化成工業株式会社を設立。
  2. 1963年株式会社日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、同時に日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始。
  3. 1965年神奈川工場のコンデンサ部門を分離独立させ、日立コンデンサ株式会社(後の日立エーアイシー)を設立。
  4. 1967年事業目的に「医薬品の製造及び販売」を追加。
  5. 1970年東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場。
  6. 1972年新神戸電機株式会社の株式の過半数を取得。
  7. 1982年事業目的に「電子材料並びに電子部品の製造及び販売」を追加。

日立化成の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

赤字の化学品事業部を母体とした分離独立

日立化成の技術的な源流は、1912年に日立製作所が電気絶縁ワニスの国産化へ向けて研究開発に着手したところにさかのぼる。その化学製品事業部を母体として、およそ50年後の1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された。翌1963年4月には日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、同時に日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始している。もともと日立製作所のなかで赤字だった化学品事業が独立し、外部の多様な産業へ材料を供給するメーカーとして歩み出した点に、この会社の性格が表れていた。 [1][2][3]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された
    • [2]1963年4月に日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、日立化工を吸収合併して営業を開始した
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [3]技術的な源流は1912年の日立製作所による電気絶縁ワニスの国産化研究にある

会社を支えたのは、絶縁ワニス、積層板、絶縁ガイシ、カーボンブラシという四つの源流製品だった。いずれも電機・電気機器の内部で絶縁や導電を担う地味な部材だが、日立製作所という大口需要家を足がかりに外部の顧客へも広げやすく、技術革新と新製品創出の足場になった。加えて独立の初期に収益面で会社を支えたのは、むしろプラスチック浴槽や家庭用浄化槽といった住宅設備機器関連の製品であり、日立の名を離れた一般消費者向けの商品まで手がけた。素材と住宅設備という二つの顔を併せ持つかたちで、会社は独立当初の経営基盤を固めていった。 [4][5]

  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [4]絶縁ワニス・積層板・絶縁ガイシ・カーボンブラシが四つの源流製品である
    • [5]独立初期の収益はプラスチック浴槽や家庭用浄化槽など住宅設備機器関連製品が支えた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [1]1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された
    • [2]1963年4月に日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、日立化工を吸収合併して営業を開始した
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [3]技術的な源流は1912年の日立製作所による電気絶縁ワニスの国産化研究にある
    • [4]絶縁ワニス・積層板・絶縁ガイシ・カーボンブラシが四つの源流製品である
    • [5]独立初期の収益はプラスチック浴槽や家庭用浄化槽など住宅設備機器関連製品が支えた

上場と親子上場によるグループの形成

事業の幅は設立から間もなく広がった。1965年に神奈川工場のコンデンサ部門を分離して日立コンデンサ(後の日立エーアイシー)を設立し、1967年には事業目的へ医薬品や建設工事を、1968年には住宅機器を加えている。同じ1968年には松戸工場の粉末冶金部門を分離して日立粉末冶金を設立した。ひとつの工場や部門が育つと切り出して専業会社にする手法を重ね、中核の電子材料から住宅設備、粉末冶金までを傘下の専業会社に分けて持つ、後年まで続くグループの骨格がこの時期にかたちづくられた。専業会社ごとに市場と向き合わせることで、それぞれの事業に規律を持たせる狙いもあった。 [6][7]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1965年に日立コンデンサ(後の日立エーアイシー)を設立した
    • [7]1968年に日立粉末冶金を設立した

1970年10月に東京・大阪両証券取引所の市場第二部へ、翌1971年8月には第一部へ上場した。1972年には蓄電池を得意とする新神戸電機の株式の過半数を取得し、同社も同年に一部上場している。以後、日立粉末冶金が1987年に、日立エーアイシーが2000年に上場するなど、親会社である日立化成のもとに複数の上場子会社がぶら下がる親子上場のグループが形成された。1982年には事業目的へ電子材料および電子部品の製造販売を加え、絶縁材料の会社から半導体やディスプレー向けの部材を担う会社へと、次の収益の柱に向けた布石を打っている。 [8][9][10]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [8]1970年10月に東京・大阪両証券取引所市場第二部へ、1971年8月に第一部へ上場した
    • [9]1972年に新神戸電機の株式の過半数を取得した
    • [10]1982年に事業目的へ電子材料および電子部品の製造販売を加えた
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1965年に日立コンデンサ(後の日立エーアイシー)を設立した
    • [7]1968年に日立粉末冶金を設立した
    • [8]1970年10月に東京・大阪両証券取引所市場第二部へ、1971年8月に第一部へ上場した
    • [9]1972年に新神戸電機の株式の過半数を取得した
    • [10]1982年に事業目的へ電子材料および電子部品の製造販売を加えた

1986 電子材料への主力転換とリストラ優等生としての体質改善

  1. 1986年南結城工場、筑波開発研究所を設置。
  2. 1987年日立粉末冶金株式会社が東京証券取引所市場第二部に上場。
  3. 1995年日立粉末冶金株式会社が東京証券取引所市場第一部に上場。
  4. 1998年事業部、工場及び営業部門を工業材料事業本部及び住機環境事業本部の二事業本部に再編。
  5. 1999年筑波開発研究所、茨城研究所及び下館研究所の組織を統合し、総合研究所を発足。
  6. 2000年日立エーアイシー株式会社が東京証券取引所市場第一部に上場。
  7. 2003年委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)に移行。

日立化成の業績推移:単体

売上高(億円)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

バブル後にいち早く着手した事業の絞り込み

バブル崩壊後の1990年代前半、日立化成は証券アナリストから「リストラクチャリングの優等生」と呼ばれた。産業界にまだ景気の先行きへの楽観が残るころから、低収益製品の見直しと不採算事業からの撤退にいち早く着手したためである。1991年3月期には過去最高の3147億円を売り上げ経営は順風満帆に見えたが、その決算をまとめる最中に経営企画部が「このままでは来期は赤字に転落する」と役員へ報告した。はた目には順調に映るなかで危機を先取りしたことが、赤字に陥る前に手を打つ体質改善につながった。 [11][12]

  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [11]1991年3月期に過去最高の3147億円を売り上げた
    • [12]1990年代前半に証券アナリストからリストラクチャリングの優等生と呼ばれた

撤退にあたっては、経営上の問題を指摘する部隊と実行する部隊を分け、なぜ撤退するのかを社員に納得させる客観的な基準を設けた。当時社長として見直しを指揮した丹野毅会長は「あのときリストラに着手していなかったら、今の当社はなかったに違いない」と述懐している。1992年3月期に1.1%まで落ち込んでいた売上高経常利益率は、この改革を土台に1998年3月期には4.7%まで高まった。事業撤退を経営の失敗と同一視しがちだった当時の日本企業のなかで、先んじて中核事業への集中投資へ方針を転換した点が際立っていた。 [13][14]

  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [13]丹野毅は当時社長として事業の見直しを指揮し、後に会長を務めた
    • [14]売上高経常利益率は1992年3月期の1.1%から1998年3月期に4.7%へ高まった
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
    • [11]1991年3月期に過去最高の3147億円を売り上げた
    • [12]1990年代前半に証券アナリストからリストラクチャリングの優等生と呼ばれた
    • [13]丹野毅は当時社長として事業の見直しを指揮し、後に会長を務めた
    • [14]売上高経常利益率は1992年3月期の1.1%から1998年3月期に4.7%へ高まった

半導体材料の開発力とデュポンが評価した機動力

体質改善と並行して、会社は電子材料メーカーとしての存在感を高めていった。1997年には米国最大の化学メーカーであるデュポンと折半出資で合弁会社を米国に設立し、日立化成が開発した半導体の表面を保護する薬品を両社の工場で製造して世界へ売る体制を築いた。この分野で新会社は世界シェア15%を握った。デュポンがそれまで日本企業と結んだ14の合弁がいずれも国内限定だったのに対し、日立化成には全世界の顧客を任せる異例の好条件が示された。中堅の日本メーカーが世界的大手から対等の相手として扱われた点で、当時としては珍しい提携だった。 [15][16]

  • 日経ビジネス 1997年11月10日号
    • [15]1997年にデュポンと折半出資の合弁会社を米国に設立した
    • [16]半導体表面保護薬品の分野で合弁会社は世界シェア15%を握った

デュポンが着目したのは、製品の成長性に加えて日立化成の開発の速さだった。半導体用薬品の開発期間はほかのメーカーの3分の2と短く、その背景には組織の縦割りを打破し、重要テーマへ人材と研究費を集中投入する運営があった。成功には報い、失敗はとがめずに社員を新しい研究へ挑ませる社風が、機動力の源泉になっていた。開発の枠内であれば管理職が研究費をある程度自由に使える裁量も与えられていた。合弁を発表した内ヶ崎功社長のもとで、材料メーカーとしての技術に裏打ちされた交渉力が示された事例だった。 [17][18]

  • 日経ビジネス 1997年11月10日号
    • [17]半導体用薬品の開発期間は他メーカーの3分の2と短かった
    • [18]内ヶ崎功が社長としてデュポンとの合弁を発表した
  • 日経ビジネス 1997年11月10日号
    • [15]1997年にデュポンと折半出資の合弁会社を米国に設立した
    • [16]半導体表面保護薬品の分野で合弁会社は世界シェア15%を握った
    • [17]半導体用薬品の開発期間は他メーカーの3分の2と短かった
    • [18]内ヶ崎功が社長としてデュポンとの合弁を発表した

親子上場の再統合とガバナンスの先取り

2000年代に入ると、複数の上場子会社を抱える親子上場の構造に手を入れた。2001年に日立エーアイシーを上場廃止のうえ完全子会社化し、同じ2001年には住宅機器・環境設備部門を会社分割で日立ハウステックとして分社している。上場子会社を整理する一方で、非中核の部門は切り出して身軽にする組み替えを同時に進めた。2003年6月には委員会等設置会社(現在の指名委員会等設置会社)へ移行した。制度が導入されて間もない時期に指名・監査・報酬の各委員会を置く体制を選んだことは、上場子会社としてのガバナンスを先取りする動きだった。 [19][20]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [19]2001年に日立エーアイシーを完全子会社化した
    • [20]2003年6月に委員会等設置会社へ移行した

委員会等設置会社への移行は、株式の過半を親会社に握られながら市場にも上場する、親子上場ならではの緊張と無縁ではなかった。少数株主の利益と親会社の意向をどう両立させるかは、上場子会社に共通する論点である。社外取締役を含む委員会に指名や報酬の判断を委ねる仕組みは、経営の独立性を対外的に示す装置でもあった。この体制のもとで、日立化成は日立ブランドを享受しつつ独立した上場会社として振る舞う立ち位置を保っていく。半世紀にわたり維持されたこの微妙な均衡は、後の売却まで会社の性格を規定した。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [19]2001年に日立エーアイシーを完全子会社化した
    • [20]2003年6月に委員会等設置会社へ移行した

2008 住宅事業の切り離しと世界シェアトップ材料への集中

  1. 2008年株式会社日立ハウステックの株式譲渡により、住宅機器・環境設備事業をグループから分離。
  2. 2008年日立粉末冶金株式会社が上場を廃止。
  3. 2008年日立粉末冶金株式会社を完全子会社化。
  4. 2009年先端材料開発研究所及び新材料応用開発研究所を統合し、筑波総合研究所を発足。
  5. 2012年日東電工株式会社より半導体用封止材事業を譲受。
  6. 2012年新神戸電機株式会社が上場を廃止。
  7. 2012年事業目的に「電池、キャパシタ並びにそれ等の応用製品の製造及び販売」を追加。

日立化成の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

住宅設備からの撤退と電子材料への収れん

2008年、日立化成は住宅設備機器の中核だった日立ハウステックの株式を外部へ売却し、独立初期を支えた住宅機器・環境設備事業をグループから切り離した。国内住宅市場が頭打ちとなるなかで、かつて収益を支えた分野にこだわらず、時代に合わせて事業の中身を入れ替える判断だった。前後して日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化し、上場子会社を整理しながら経営資源を電子材料へ収れんさせていった。長い歴史を持つ化学メーカーの多くがそうであるように、中核技術の応用先を時代に合わせて変える営みでもあった。 [21][22]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2008年に日立ハウステックの株式譲渡により住宅機器・環境設備事業をグループから分離した
    • [22]日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化した

集中の先で会社は、材料メーカーならではの強みを世界市場で発揮した。リチウムイオン電池の主要材料である負極材や、「アニソルム」の名称で売り出した液晶ディスプレー向けの回路接続用材料は、いずれも世界シェアトップの製品に育った。連結売上高はおよそ5000億円で、日本の化学業界では10番手前後の準大手にあたるが、鉄鋼のような規模の勝負にならない機能材料の世界で、分野を絞って高いシェアを取る戦い方を選んだ。素材ごとに独特の技術やノウハウが求められる領域で、強い競争力を発揮できれば規模の劣勢を補えるとの読みがあった。 [23][24]

  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [23]リチウムイオン電池負極材とアニソルムの名称の回路接続用材料が世界シェアトップだった
    • [24]連結売上高はおよそ5000億円で化学業界10番手前後の準大手だった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [21]2008年に日立ハウステックの株式譲渡により住宅機器・環境設備事業をグループから分離した
    • [22]日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化した
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [23]リチウムイオン電池負極材とアニソルムの名称の回路接続用材料が世界シェアトップだった
    • [24]連結売上高はおよそ5000億円で化学業界10番手前後の準大手だった

「工業」を外した社名変更と自主独立の距離感

2012年、蓄電池を得意とする新神戸電機を完全子会社化し、同年には日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けて後工程材料の品ぞろえを広げた。半導体パッケージを守る封止材は、後にこの会社の価値を象徴する分野になる。翌2013年1月には商号を日立化成工業から日立化成へ改め、本店を東京都新宿区から東京駅に隣接する千代田区へ移転している。田中一行社長は、材料ビジネスにとどまらず蓄電池のようなデバイスや制御、ソフトへ事業領域を広げたい意向を語り、社名から「工業」を外したのはその意思の表れだった。 [25][26][27]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2012年に日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けた
    • [26]2013年1月に商号を日立化成工業から日立化成へ変更し本店を新宿区から千代田区へ移転した
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [27]田中一行が社長として社名変更の意図を語った

日立化成は、株式の51%を保有する日立製作所から見れば連結子会社であり、経営統合を決めた日立金属、日立電線と並ぶ「御三家」の一角だった。もっとも日立グループ内から得る売上高は全体の4%程度にとどまり、外部の産業へ広く供給する材料メーカーとしての自立性は高かった。田中一行社長が日立製作所を「大株主で意向は尊重しなければならないが、経営は任されている」と表現したとおり、日立のブランドと研究開発力をテコにしつつ経営の独立性を保つ、絶妙な距離感の上に成り立っていた。過半を親に握られながら市場でも評価される、その均衡が会社の強みでもあった。 [28]

  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [28]日立金属・日立電線と並ぶ日立御三家の一角だった
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [25]2012年に日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けた
    • [26]2013年1月に商号を日立化成工業から日立化成へ変更し本店を新宿区から千代田区へ移転した
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
    • [27]田中一行が社長として社名変更の意図を語った
    • [28]日立金属・日立電線と並ぶ日立御三家の一角だった

2016 検査不正と親会社の脱製造業改革、昭和電工による幕引き

  1. 2016年新神戸電機株式会社及び新神戸テクノサービス株式会社を吸収合併し、埼玉・名張・彦根の各事業所を設置。
  2. 2017年再生医療の受託事業を担うPCT, LLC(現・Hitachi Chemical Advanced Therapeutics Solutions, LLC)を完全子会社化。
  3. 2017年蓄電池メーカーのFIAMM Energy Technology S.p.A.を連結子会社化。
  4. 2017年ISOLITE GmbHを完全子会社化。
  5. 2017年Thai Storage Battery Public Company Limitedを連結子会社化。
  6. 2020年昭和電工株式会社による株式公開買付けが成立し、東京証券取引所市場第一部の上場を廃止。
  7. 2020年昭和電工の傘下に入り、親会社が株式会社日立製作所から昭和電工へ異動して日立製作所グループを離脱。

日立化成の業績推移:単体

売上高(億円)純利益率(%)

出所:有価証券報告書・会社四季報等

海外M&Aの拡大と品質不正の発覚

2010年代後半、日立化成は成長分野を求めて海外企業の取り込みを加速した。2017年に蓄電池のFIAMM Energy Technology(イタリア)やThai Storage Battery(タイ)を、再生医療の受託事業を担うPCT(米国)を相次いで子会社化し、2018年には体外診断薬の協和メデックスを、2019年には再生医療のApceth Biopharma(ドイツ)を傘下に収めている。蓄電池、再生医療、診断といった新領域へ事業の裾野を広げる動きだった。半導体材料で稼いだ利益を、次の柱の育成へ振り向けようとする布石でもあった。 [29][30]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [29]2017年にFIAMM Energy Technology・Thai Storage Battery・PCTを子会社化した
    • [30]2018年に協和メデックスを、2019年にApceth Biopharmaを子会社化した

拡大の一方で足元は揺らいだ。2018年末には製品の検査データをめぐる品質不正が発覚し、近年は業績の低迷も続いた。連結の営業利益は2019年3月期の363億円から2020年3月期には231億円へと縮み、蓄電池など不振事業も抱えていた。半導体や配線板向けの機能材料が収益の柱であり続ける一方、収益力を早期に立て直せるかどうかが、上場子会社としての立ち位置を左右する課題として重くのしかかった。品質不正は顧客からの信頼にも影を落とし、稼ぐ力の回復を急ぐ圧力を一段と強めた。好調な機能材料と不振の蓄電池が同居する事業構成の見直しも避けられなくなっていた。 [31]

  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号
    • [31]2018年末に検査データをめぐる品質不正が発覚した
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [29]2017年にFIAMM Energy Technology・Thai Storage Battery・PCTを子会社化した
    • [30]2018年に協和メデックスを、2019年にApceth Biopharmaを子会社化した
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号
    • [31]2018年末に検査データをめぐる品質不正が発覚した

日立の子会社再編と国内化学最大のM&Aによる社名の消滅

親会社の日立製作所は、IoT基盤との関係が薄く利益率の低い子会社を売却して連結から外す方針を進めていた。10年前に20社を超えた上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られ、これらも2021年度末までに結論を出すとされた。御三家の一角である日立化成もその対象となり、日立化成幹部からは「日立グループから自ら進んで離れるメリットは何もない」との本音が漏れた。自主独立を掲げても、資本の過半を握る親会社の意向には抗しきれない、上場子会社の宿命がにじんだ。 [32]

  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号
    • [32]日立の上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られた

売却先には投資ファンドなどが名乗りを上げたが、雇用維持などの条件を理由に脱落し、最後に残ったのが昭和電工だった。昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化する。国内化学業界で過去最大のM&Aであり、売上規模で上回る昭和電工が従業員数で倍の日立化成をのむ「小が大をのむ」買収でもあった。森川宏平社長は買収を「当社の歴史上、大きな転換点だ」と位置づけ、機能性化学で世界トップ企業になる機会を逃したくなかったと語った。原資となったのは、黒鉛電極の市況高騰がもたらした空前の好業績だった。 [33][34]

  • 週刊東洋経済 2020年1月11日号
    • [33]昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化し、国内化学業界で過去最大のM&Aとなった
    • [34]昭和電工の森川宏平社長が買収を歴史上の大きな転換点と位置づけた

2020年2月に始まった株式公開買付けを経て、同年、日立化成は東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した。親会社は日立製作所から昭和電工へと移り、1962年の分離独立以来つないできた日立製作所グループとの関係に幕が下りた。買収後の同社は昭和電工マテリアルズへ商号を変え、2023年には昭和電工と統合してレゾナックへと姿を変える。半導体後工程材料などで世界に通用する技術を築いた日立化成の名は、機能性化学の再編のなかで消えていった。日立の一部門として生まれた材料メーカーの58年の歩みは、別の化学会社の中核として引き継がれた。 [35][36]

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [35]2020年に昭和電工による公開買付けを経て上場を廃止し、親会社が日立製作所から昭和電工へ移った
  • 週刊東洋経済 2020年1月11日号
    • [36]買収後に昭和電工マテリアルズへ商号変更し、2023年にレゾナックへ統合された
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号
    • [32]日立の上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られた
  • 週刊東洋経済 2020年1月11日号
    • [33]昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化し、国内化学業界で過去最大のM&Aとなった
    • [34]昭和電工の森川宏平社長が買収を歴史上の大きな転換点と位置づけた
    • [36]買収後に昭和電工マテリアルズへ商号変更し、2023年にレゾナックへ統合された
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [35]2020年に昭和電工による公開買付けを経て上場を廃止し、親会社が日立製作所から昭和電工へ移った

日立化成の沿革1962〜2020年における主な出来事を抜粋

年月区分社長・CEO出来事重要度
会社設立日立化成工業株式会社を設立。★★★
企業買収株式会社日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、同時に日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始。★★★
組織再編神奈川工場のコンデンサ部門を分離独立させ、日立コンデンサ株式会社(後の日立エーアイシー)を設立。★★
設備投資桜川工場を設置。
新規事業事業目的に「医薬品の製造及び販売」を追加。★★
新規事業事業目的に「建設工事の設計、施工及び請負」を追加。
株式の額面金額を変更するため、東京都中央区所在の日立化成工業株式会社と合併。
組織再編松戸工場の粉末冶金部門を分離独立させ、日立粉末冶金株式会社を設立。★★
新規事業事業目的に「住宅機器の製造及び販売」を追加。★★
設備投資結城工場を設置。
株式上場東京・大阪両証券取引所市場第二部に上場。★★★
株式上場東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。★★
企業買収新神戸電機株式会社の株式の過半数を取得。★★★
親子上場新神戸電機株式会社が東京・大阪両証券取引所市場第一部に上場。★★
研究開発茨城研究所、下館研究所を設置。★★
設備投資五井工場を設置。
新規事業事業目的に「環境設備機器の製造及び販売」を追加。
設備投資下館第二工場を設置。
新規事業事業目的に「電子材料並びに電子部品の製造及び販売」を追加。★★★
下館第二工場を五所宮工場に名称変更。
研究開発・設備投資南結城工場、筑波開発研究所を設置。★★
親子上場日立粉末冶金株式会社が東京証券取引所市場第二部に上場。★★
設備投資鹿島工場を設置。
研究開発医薬品研究所を設置。
組織再編桜川工場を山崎工場に、南結城工場を下館工場に、五所宮工場を結城工場に統合。
結城工場から五所宮工場を分離。
親子上場日立粉末冶金株式会社が東京証券取引所市場第一部に上場。★★
組織再編事業部、工場及び営業部門を工業材料事業本部及び住機環境事業本部の二事業本部に再編。★★
研究開発筑波開発研究所、茨城研究所及び下館研究所の組織を統合し、総合研究所を発足。★★
組織再編鹿島事業所を山崎事業所に統合。
親子上場日立エーアイシー株式会社が東京証券取引所市場第一部に上場。★★
上場廃止日立エーアイシー株式会社が上場を廃止。★★
企業買収日立エーアイシー株式会社を完全子会社化。★★
組織再編住宅機器・環境設備部門を会社分割により完全子会社の株式会社日立ハウステックとして分社。★★
ガバナンス改革委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)に移行。★★★
研究開発長瀬寧次総合研究所を機能性材料研究所、電子材料研究所及び先端材料研究所に再編。★★
事業売却田中一行株式会社日立ハウステックの株式譲渡により、住宅機器・環境設備事業をグループから分離。★★★
上場廃止日立粉末冶金株式会社が上場を廃止。★★
企業買収日立粉末冶金株式会社を完全子会社化。★★
組織再編日化設備エンジニアリング株式会社を吸収合併。
研究開発先端材料開発研究所及び新材料応用開発研究所を統合し、筑波総合研究所を発足。★★
組織再編五所宮事業所を下館事業所に統合。
上場廃止新神戸電機株式会社が上場を廃止。★★
新規事業事業目的に「電池、キャパシタ並びにそれ等の応用製品の製造及び販売」を追加。★★
企業買収日東電工株式会社より半導体用封止材事業を譲受。★★★
商号を日立化成工業株式会社から日立化成株式会社へ変更し、本店を東京都新宿区から東京都千代田区へ移転。★★
組織再編新神戸電機株式会社の営業、事業企画及び電池関連以外の研究開発部門を当社に統合。★★
組織再編日立粉末冶金株式会社を吸収合併し、松戸事業所を設置。★★
事業目的の「粉末冶金、特殊金属並びにそれ等の応用製品の販売」を「製造及び販売」に変更。
企業買収・海外進出丸山寿台湾神戸電池股份有限公司(現・日立化成能源科技股份有限公司)を連結子会社化。★★
企業買収・海外進出台湾日邦樹脂股份有限公司を連結子会社化。★★
組織再編新神戸電機株式会社及び新神戸テクノサービス株式会社を吸収合併し、埼玉・名張・彦根の各事業所を設置。★★
組織再編日立化成ポリマー株式会社及び日立化成フィルテック株式会社を吸収合併。
企業買収・海外進出蓄電池メーカーのFIAMM Energy Technology S.p.A.を連結子会社化。★★
企業買収・海外進出再生医療の受託事業を担うPCT, LLC(現・Hitachi Chemical Advanced Therapeutics Solutions, LLC)を完全子会社化。★★★
企業買収・海外進出ISOLITE GmbHを完全子会社化。★★
企業買収・海外進出Thai Storage Battery Public Company Limitedを連結子会社化。★★
企業買収体外診断薬の協和メデックス株式会社(現・日立化成ダイアグノスティックス・システムズ)を連結子会社化。★★
企業買収・海外進出再生医療のApceth Biopharma GmbHを完全子会社化。★★
事業売却日立化成商事株式会社の全株式を譲渡。★★
上場廃止昭和電工株式会社による株式公開買付けが成立し、東京証券取引所市場第一部の上場を廃止。★★★
企業買収昭和電工の傘下に入り、親会社が株式会社日立製作所から昭和電工へ異動して日立製作所グループを離脱。★★★
出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 週刊東洋経済 2013年1月25日号
  • 日経ビジネス 1998年7月20日号
  • 日経ビジネス 1997年11月10日号
  • 週刊東洋経済 2019年12月14日号
  • 週刊東洋経済 2020年1月11日号

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