{
  "title": "日立化成の歴史概略",
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      "start_year": 1962,
      "end_year": 1985,
      "main_title": "日立製作所の化学部門から分離独立した材料メーカーの出発",
      "subsections": [
        {
          "title": "赤字の化学品事業部を母体とした分離独立",
          "text": "日立化成の技術的な源流は、1912年に日立製作所が電気絶縁ワニスの国産化へ向けて研究開発に着手したところにさかのぼる。その化学製品事業部を母体として、およそ50年後の1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された。翌1963年4月には日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、同時に日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始している。もともと日立製作所のなかで赤字だった化学品事業が独立し、外部の多様な産業へ材料を供給するメーカーとして歩み出した点に、この会社の性格が表れていた。\n\n会社を支えたのは、絶縁ワニス、積層板、絶縁ガイシ、カーボンブラシという四つの源流製品だった。いずれも電機・電気機器の内部で絶縁や導電を担う地味な部材だが、日立製作所という大口需要家を足がかりに外部の顧客へも広げやすく、技術革新と新製品創出の足場になった。加えて独立の初期に収益面で会社を支えたのは、むしろプラスチック浴槽や家庭用浄化槽といった住宅設備機器関連の製品であり、日立の名を離れた一般消費者向けの商品まで手がけた。素材と住宅設備という二つの顔を併せ持つかたちで、会社は独立当初の経営基盤を固めていった。",
          "references": [
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "fact": "1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された",
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                "genbun": "その化学製品事業部を母体として、およそ50年後の1962年10月10日に日立化成工業株式会社が設立された。"
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              {
                "fact": "1963年4月に日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、日立化工を吸収合併して営業を開始した",
                "source": "有価証券報告書【沿革】",
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                "genbun": "翌1963年4月には日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、同時に日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始している。"
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              {
                "fact": "技術的な源流は1912年の日立製作所による電気絶縁ワニスの国産化研究にある",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "日立化成の技術的な源流は、1912年に日立製作所が電気絶縁ワニスの国産化へ向けて研究開発に着手したところにさかのぼる。"
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            [
              {
                "fact": "絶縁ワニス・積層板・絶縁ガイシ・カーボンブラシが四つの源流製品である",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "会社を支えたのは、絶縁ワニス、積層板、絶縁ガイシ、カーボンブラシという四つの源流製品だった。"
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                "fact": "独立初期の収益はプラスチック浴槽や家庭用浄化槽など住宅設備機器関連製品が支えた",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "独立の初期に収益面で会社を支えたのは、むしろプラスチック浴槽や家庭用浄化槽といった住宅設備機器関連の製品であり"
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        },
        {
          "title": "上場と親子上場によるグループの形成",
          "text": "事業の幅は設立から間もなく広がった。1965年に神奈川工場のコンデンサ部門を分離して日立コンデンサ（後の日立エーアイシー）を設立し、1967年には事業目的へ医薬品や建設工事を、1968年には住宅機器を加えている。同じ1968年には松戸工場の粉末冶金部門を分離して日立粉末冶金を設立した。ひとつの工場や部門が育つと切り出して専業会社にする手法を重ね、中核の電子材料から住宅設備、粉末冶金までを傘下の専業会社に分けて持つ、後年まで続くグループの骨格がこの時期にかたちづくられた。専業会社ごとに市場と向き合わせることで、それぞれの事業に規律を持たせる狙いもあった。\n\n1970年10月に東京・大阪両証券取引所の市場第二部へ、翌1971年8月には第一部へ上場した。1972年には蓄電池を得意とする新神戸電機の株式の過半数を取得し、同社も同年に一部上場している。以後、日立粉末冶金が1987年に、日立エーアイシーが2000年に上場するなど、親会社である日立化成のもとに複数の上場子会社がぶら下がる親子上場のグループが形成された。1982年には事業目的へ電子材料および電子部品の製造販売を加え、絶縁材料の会社から半導体やディスプレー向けの部材を担う会社へと、次の収益の柱に向けた布石を打っている。",
          "references": [
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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              "title": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "fact": "1965年に日立コンデンサ（後の日立エーアイシー）を設立した",
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                "genbun": "同じ1968年には松戸工場の粉末冶金部門を分離して日立粉末冶金を設立した。"
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            [
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                "fact": "1970年10月に東京・大阪両証券取引所市場第二部へ、1971年8月に第一部へ上場した",
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                "fact": "1972年に新神戸電機の株式の過半数を取得した",
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                "fact": "1982年に事業目的へ電子材料および電子部品の製造販売を加えた",
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    {
      "start_year": 1986,
      "end_year": 2007,
      "main_title": "電子材料への主力転換とリストラ優等生としての体質改善",
      "subsections": [
        {
          "title": "バブル後にいち早く着手した事業の絞り込み",
          "text": "バブル崩壊後の1990年代前半、日立化成は証券アナリストから「リストラクチャリングの優等生」と呼ばれた。産業界にまだ景気の先行きへの楽観が残るころから、低収益製品の見直しと不採算事業からの撤退にいち早く着手したためである。1991年3月期には過去最高の3147億円を売り上げ経営は順風満帆に見えたが、その決算をまとめる最中に経営企画部が「このままでは来期は赤字に転落する」と役員へ報告した。はた目には順調に映るなかで危機を先取りしたことが、赤字に陥る前に手を打つ体質改善につながった。\n\n撤退にあたっては、経営上の問題を指摘する部隊と実行する部隊を分け、なぜ撤退するのかを社員に納得させる客観的な基準を設けた。当時社長として見直しを指揮した丹野毅会長は「あのときリストラに着手していなかったら、今の当社はなかったに違いない」と述懐している。1992年3月期に1.1％まで落ち込んでいた売上高経常利益率は、この改革を土台に1998年3月期には4.7％まで高まった。事業撤退を経営の失敗と同一視しがちだった当時の日本企業のなかで、先んじて中核事業への集中投資へ方針を転換した点が際立っていた。",
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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              "role": "1990年代のリストラを指揮した当時の社長",
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              "text": "あのときリストラに着手していなかったら、今の当社はなかったに違いない。",
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                "fact": "1991年3月期に過去最高の3147億円を売り上げた",
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                "genbun": "日立化成は証券アナリストから「リストラクチャリングの優等生」と呼ばれた。"
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                "fact": "売上高経常利益率は1992年3月期の1.1％から1998年3月期に4.7％へ高まった",
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        {
          "title": "半導体材料の開発力とデュポンが評価した機動力",
          "text": "体質改善と並行して、会社は電子材料メーカーとしての存在感を高めていった。1997年には米国最大の化学メーカーであるデュポンと折半出資で合弁会社を米国に設立し、日立化成が開発した半導体の表面を保護する薬品を両社の工場で製造して世界へ売る体制を築いた。この分野で新会社は世界シェア15％を握った。デュポンがそれまで日本企業と結んだ14の合弁がいずれも国内限定だったのに対し、日立化成には全世界の顧客を任せる異例の好条件が示された。中堅の日本メーカーが世界的大手から対等の相手として扱われた点で、当時としては珍しい提携だった。\n\nデュポンが着目したのは、製品の成長性に加えて日立化成の開発の速さだった。半導体用薬品の開発期間はほかのメーカーの3分の2と短く、その背景には組織の縦割りを打破し、重要テーマへ人材と研究費を集中投入する運営があった。成功には報い、失敗はとがめずに社員を新しい研究へ挑ませる社風が、機動力の源泉になっていた。開発の枠内であれば管理職が研究費をある程度自由に使える裁量も与えられていた。合弁を発表した内ヶ崎功社長のもとで、材料メーカーとしての技術に裏打ちされた交渉力が示された事例だった。",
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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                "fact": "1997年にデュポンと折半出資の合弁会社を米国に設立した",
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                "genbun": "1997年には米国最大の化学メーカーであるデュポンと折半出資で合弁会社を米国に設立し"
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                "fact": "半導体表面保護薬品の分野で合弁会社は世界シェア15％を握った",
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                "fact": "半導体用薬品の開発期間は他メーカーの3分の2と短かった",
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                "genbun": "半導体用薬品の開発期間はほかのメーカーの3分の2と短く"
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                "fact": "内ヶ崎功が社長としてデュポンとの合弁を発表した",
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                "genbun": "合弁を発表した内ヶ崎功社長のもとで、材料メーカーとしての技術に裏打ちされた交渉力が示された事例だった。"
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        {
          "title": "親子上場の再統合とガバナンスの先取り",
          "text": "2000年代に入ると、複数の上場子会社を抱える親子上場の構造に手を入れた。2001年に日立エーアイシーを上場廃止のうえ完全子会社化し、同じ2001年には住宅機器・環境設備部門を会社分割で日立ハウステックとして分社している。上場子会社を整理する一方で、非中核の部門は切り出して身軽にする組み替えを同時に進めた。2003年6月には委員会等設置会社（現在の指名委員会等設置会社）へ移行した。制度が導入されて間もない時期に指名・監査・報酬の各委員会を置く体制を選んだことは、上場子会社としてのガバナンスを先取りする動きだった。\n\n委員会等設置会社への移行は、株式の過半を親会社に握られながら市場にも上場する、親子上場ならではの緊張と無縁ではなかった。少数株主の利益と親会社の意向をどう両立させるかは、上場子会社に共通する論点である。社外取締役を含む委員会に指名や報酬の判断を委ねる仕組みは、経営の独立性を対外的に示す装置でもあった。この体制のもとで、日立化成は日立ブランドを享受しつつ独立した上場会社として振る舞う立ち位置を保っていく。半世紀にわたり維持されたこの微妙な均衡は、後の売却まで会社の性格を規定した。",
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                "fact": "2001年に日立エーアイシーを完全子会社化した",
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                "genbun": "2001年に日立エーアイシーを上場廃止のうえ完全子会社化し"
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                "fact": "2003年6月に委員会等設置会社へ移行した",
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                "genbun": "2003年6月には委員会等設置会社（現在の指名委員会等設置会社）へ移行した。"
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          "title": "住宅設備からの撤退と電子材料への収れん",
          "text": "2008年、日立化成は住宅設備機器の中核だった日立ハウステックの株式を外部へ売却し、独立初期を支えた住宅機器・環境設備事業をグループから切り離した。国内住宅市場が頭打ちとなるなかで、かつて収益を支えた分野にこだわらず、時代に合わせて事業の中身を入れ替える判断だった。前後して日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化し、上場子会社を整理しながら経営資源を電子材料へ収れんさせていった。長い歴史を持つ化学メーカーの多くがそうであるように、中核技術の応用先を時代に合わせて変える営みでもあった。\n\n集中の先で会社は、材料メーカーならではの強みを世界市場で発揮した。リチウムイオン電池の主要材料である負極材や、「アニソルム」の名称で売り出した液晶ディスプレー向けの回路接続用材料は、いずれも世界シェアトップの製品に育った。連結売上高はおよそ5000億円で、日本の化学業界では10番手前後の準大手にあたるが、鉄鋼のような規模の勝負にならない機能材料の世界で、分野を絞って高いシェアを取る戦い方を選んだ。素材ごとに独特の技術やノウハウが求められる領域で、強い競争力を発揮できれば規模の劣勢を補えるとの読みがあった。",
          "references": [
            {
              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "fact": "2008年に日立ハウステックの株式譲渡により住宅機器・環境設備事業をグループから分離した",
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              },
              {
                "fact": "日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化した",
                "source": "有価証券報告書【沿革】",
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                "genbun": "前後して日立粉末冶金を2008年に、新神戸電機を2012年に完全子会社化し"
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            [
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                "fact": "リチウムイオン電池負極材とアニソルムの名称の回路接続用材料が世界シェアトップだった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "リチウムイオン電池の主要材料である負極材や、「アニソルム」の名称で売り出した液晶ディスプレー向けの回路接続用材料は、いずれも世界シェアトップの製品に育った。"
              },
              {
                "fact": "連結売上高はおよそ5000億円で化学業界10番手前後の準大手だった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "連結売上高はおよそ5000億円で、日本の化学業界では10番手前後の準大手にあたるが"
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        },
        {
          "title": "「工業」を外した社名変更と自主独立の距離感",
          "text": "2012年、蓄電池を得意とする新神戸電機を完全子会社化し、同年には日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けて後工程材料の品ぞろえを広げた。半導体パッケージを守る封止材は、後にこの会社の価値を象徴する分野になる。翌2013年1月には商号を日立化成工業から日立化成へ改め、本店を東京都新宿区から東京駅に隣接する千代田区へ移転している。田中一行社長は、材料ビジネスにとどまらず蓄電池のようなデバイスや制御、ソフトへ事業領域を広げたい意向を語り、社名から「工業」を外したのはその意思の表れだった。\n\n日立化成は、株式の51％を保有する日立製作所から見れば連結子会社であり、経営統合を決めた日立金属、日立電線と並ぶ「御三家」の一角だった。もっとも日立グループ内から得る売上高は全体の4％程度にとどまり、外部の産業へ広く供給する材料メーカーとしての自立性は高かった。田中一行社長が日立製作所を「大株主で意向は尊重しなければならないが、経営は任されている」と表現したとおり、日立のブランドと研究開発力をテコにしつつ経営の独立性を保つ、絶妙な距離感の上に成り立っていた。過半を親に握られながら市場でも評価される、その均衡が会社の強みでもあった。",
          "references": [
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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              "speaker": "田中一行",
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              "date": "2013",
              "text": "日立製作所は大株主で意向は尊重しなければならないが、経営は任されている。今の持ち株比率は、過半数株主をまとめる対策を頑張らなくてもよい、微妙ないいバランスだ。",
              "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "fact": "2012年に日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けた",
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                "genbun": "同年には日東電工から半導体用封止材事業を譲り受けて後工程材料の品ぞろえを広げた。"
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                "fact": "2013年1月に商号を日立化成工業から日立化成へ変更し本店を新宿区から千代田区へ移転した",
                "source": "有価証券報告書【沿革】",
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                "genbun": "翌2013年1月には商号を日立化成工業から日立化成へ改め、本店を東京都新宿区から東京駅に隣接する千代田区へ移転している。"
              },
              {
                "fact": "田中一行が社長として社名変更の意図を語った",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "田中一行社長は、材料ビジネスにとどまらず蓄電池のようなデバイスや制御、ソフトへ事業領域を広げたい意向を語り"
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                "fact": "日立金属・日立電線と並ぶ日立御三家の一角だった",
                "source": "週刊東洋経済 2013年1月25日号",
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                "genbun": "経営統合を決めた日立金属、日立電線と並ぶ「御三家」の一角だった。"
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    {
      "start_year": 2016,
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      "main_title": "検査不正と親会社の脱製造業改革、昭和電工による幕引き",
      "subsections": [
        {
          "title": "海外M&Aの拡大と品質不正の発覚",
          "text": "2010年代後半、日立化成は成長分野を求めて海外企業の取り込みを加速した。2017年に蓄電池のFIAMM Energy Technology（イタリア）やThai Storage Battery（タイ）を、再生医療の受託事業を担うPCT（米国）を相次いで子会社化し、2018年には体外診断薬の協和メデックスを、2019年には再生医療のApceth Biopharma（ドイツ）を傘下に収めている。蓄電池、再生医療、診断といった新領域へ事業の裾野を広げる動きだった。半導体材料で稼いだ利益を、次の柱の育成へ振り向けようとする布石でもあった。\n\n拡大の一方で足元は揺らいだ。2018年末には製品の検査データをめぐる品質不正が発覚し、近年は業績の低迷も続いた。連結の営業利益は2019年3月期の363億円から2020年3月期には231億円へと縮み、蓄電池など不振事業も抱えていた。半導体や配線板向けの機能材料が収益の柱であり続ける一方、収益力を早期に立て直せるかどうかが、上場子会社としての立ち位置を左右する課題として重くのしかかった。品質不正は顧客からの信頼にも影を落とし、稼ぐ力の回復を急ぐ圧力を一段と強めた。好調な機能材料と不振の蓄電池が同居する事業構成の見直しも避けられなくなっていた。",
          "references": [
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2019年12月14日号",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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                "fact": "2017年にFIAMM Energy Technology・Thai Storage Battery・PCTを子会社化した",
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                "genbun": "2017年に蓄電池のFIAMM Energy Technology（イタリア）やThai Storage Battery（タイ）を、再生医療の受託事業を担うPCT（米国）を相次いで子会社化し"
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                "genbun": "2018年には体外診断薬の協和メデックスを、2019年には再生医療のApceth Biopharma（ドイツ）を傘下に収めている。"
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              {
                "fact": "2018年末に検査データをめぐる品質不正が発覚した",
                "source": "週刊東洋経済 2019年12月14日号",
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                "genbun": "2018年末には製品の検査データをめぐる品質不正が発覚し、近年は業績の低迷も続いた。"
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        {
          "title": "日立の子会社再編と国内化学最大のM&Aによる社名の消滅",
          "text": "親会社の日立製作所は、IoT基盤との関係が薄く利益率の低い子会社を売却して連結から外す方針を進めていた。10年前に20社を超えた上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られ、これらも2021年度末までに結論を出すとされた。御三家の一角である日立化成もその対象となり、日立化成幹部からは「日立グループから自ら進んで離れるメリットは何もない」との本音が漏れた。自主独立を掲げても、資本の過半を握る親会社の意向には抗しきれない、上場子会社の宿命がにじんだ。\n\n売却先には投資ファンドなどが名乗りを上げたが、雇用維持などの条件を理由に脱落し、最後に残ったのが昭和電工だった。昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化する。国内化学業界で過去最大のM&Aであり、売上規模で上回る昭和電工が従業員数で倍の日立化成をのむ「小が大をのむ」買収でもあった。森川宏平社長は買収を「当社の歴史上、大きな転換点だ」と位置づけ、機能性化学で世界トップ企業になる機会を逃したくなかったと語った。原資となったのは、黒鉛電極の市況高騰がもたらした空前の好業績だった。\n\n2020年2月に始まった株式公開買付けを経て、同年、日立化成は東京証券取引所市場第一部の上場を廃止した。親会社は日立製作所から昭和電工へと移り、1962年の分離独立以来つないできた日立製作所グループとの関係に幕が下りた。買収後の同社は昭和電工マテリアルズへ商号を変え、2023年には昭和電工と統合してレゾナックへと姿を変える。半導体後工程材料などで世界に通用する技術を築いた日立化成の名は、機能性化学の再編のなかで消えていった。日立の一部門として生まれた材料メーカーの58年の歩みは、別の化学会社の中核として引き継がれた。",
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              "title": "有価証券報告書【沿革】",
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              "title": "週刊東洋経済 2019年12月14日号",
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            {
              "title": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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              "speaker": "森川宏平",
              "role": "日立化成を買収した昭和電工の社長",
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              "text": "これから10年、20年、うち単独でやっていくことも考えたが、機能性化学で世界トップ企業になれるチャンスを逃したくなかった。",
              "source": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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                "fact": "日立の上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られた",
                "source": "週刊東洋経済 2019年12月14日号",
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                "genbun": "10年前に20社を超えた上場子会社は日立ハイテクノロジーズ・日立建機・日立金属・日立化成の4社まで絞られ"
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            [
              {
                "fact": "昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化し、国内化学業界で過去最大のM&Aとなった",
                "source": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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                "genbun": "昭和電工は9640億円を投じて日立化成を完全子会社化する。国内化学業界で過去最大のM&Aであり"
              },
              {
                "fact": "昭和電工の森川宏平社長が買収を歴史上の大きな転換点と位置づけた",
                "source": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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                "genbun": "森川宏平社長は買収を「当社の歴史上、大きな転換点だ」と位置づけ、機能性化学で世界トップ企業になる機会を逃したくなかったと語った。"
              }
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            [
              {
                "fact": "2020年に昭和電工による公開買付けを経て上場を廃止し、親会社が日立製作所から昭和電工へ移った",
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              },
              {
                "fact": "買収後に昭和電工マテリアルズへ商号変更し、2023年にレゾナックへ統合された",
                "source": "週刊東洋経済 2020年1月11日号",
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                "genbun": "買収後の同社は昭和電工マテリアルズへ商号を変え、2023年には昭和電工と統合してレゾナックへと姿を変える。"
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        }
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    "title": "サマリー",
    "text": "### 創業\n\n1962年、株式会社日立製作所は赤字の化学製品事業部を分離し、日立化成工業株式会社を設立した。技術の源流は、1912年に日立製作所が電気絶縁ワニスの国産化へ向けて始めた研究開発にさかのぼる。翌1963年には日立製作所の化学製品部門の営業資産を譲り受け、日立化工株式会社を吸収合併して営業を開始した。絶縁ワニス、積層板、絶縁ガイシ、カーボンブラシという四つの源流製品を核に、日立製作所という大口需要家を足がかりに外部の多様な産業へ材料を供給するメーカーとして出発している。1970年に東京・大阪両証券取引所へ上場した。",
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