決断
油脂の化学でつくれるものを、対価の高い用途へ載せ替えてきた。1943年までに吸収した火薬の技術は、1954年にロケット用推進薬へ向かった。石鹸向け原料に依存する油脂の採算が崩れ、三期続けて赤字を計上すると、1961年に川崎へ千鳥工場を建設して石油化学へ進んだ。1973年には米ダイヤモンド・シャムロックと提携して防錆コーティングへ入り、1992年に反射防止フィルムの研究を始めた。2000年に塗料と溶接を売却し、翌2001年に薬物送達システム(DDS)素材へ参入する。界面と重合という同じ技術の売り先を、石鹸から自動車の防錆処理剤と製薬会社のPEG修飾剤へ替えてきた。
1961年 川崎・千鳥工場で石化進出
川崎・千鳥工場で石化進出石鹸向け油脂の採算悪化で三期続けて当期損失を計上した会社が、川崎・千鳥工場の新設による石油化学進出に踏み切り、油脂偏重の収益構造を設備投資で組み替えようとした再建同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1960 1961 1966 売上高(億円) 135 160 239 営業利益率(%) 9.6 − −