事業の売却と撤退
祖業には、創業以来の生産設備、そこで働き続けてきた従業員、長年の取引先が付随している。社名にその事業の名が入っていれば、対外的な信用もそこに結びつく。撤退の判断が遅れるのは、損益では測れない事情が祖業にだけ集まっているためである。
会計の仕組みも、判断の先送りを助長した。稼働中の生産設備は取得原価から減価償却累計額を引いた額で帳簿に残り、投資回収の見込みが薄れても帳簿価額は下がらなかった。事業を続ける費用は毎年の償却費と操業損として少しずつ現れるだけで、保有し続ける判断の代価は、どの期の決算にも一度には現れない。撤退を決めた場合の損失の現れ方はその逆である。設備の除却損も割増退職金も取引先への補償も、撤退を決めた期の損益計算書に集中する。つまり事業を続けるかぎり損失は各期へ分散し、撤退を決めた期だけが損失を引き受ける。在任中の決算で評価される経営者にとって、判断を次の代へ送る誘因はここにあった。回収の見込みを失った設備の価額を損失として計上する減損会計が導入されたのは後年であり、それまでの撤退は、決算に迫られた措置ではなく経営者が自ら選ぶしかない判断だった。
繊維・化学・造船が需要の減退に直面したのは早かった。1970年代後半にこの減退は構造不況と呼ばれ、個々の会社の責任ではなく業界全体の状態と見なされた。1980年代後半の構造調整で削減されたのも生産能力であって、事業そのものではない。祖業の生産を打ち切る判断が相次いだのは、汎用品が海外の新設備と原価で競うようになった1990年代末以降である。
この時期の撤退は、繊維・化学から半導体・ゲーム機まで及んだ。日東紡績は綿紡績を打ち切ってガラス繊維専業へ転換し、クラレはレーヨンの生産を止めてポバールへ主力を移した。日本ゼオンは水島工場の塩化ビニル生産を停止した。半導体では三菱電機と沖電気工業が汎用DRAMの量産競争から撤退し、セガはドリームキャストの製造を中止してソフトメーカーへ転じた。
いずれも、対象の事業が赤字だったために撤退したのではない。続けられはするが伸びない事業に設備と人員を置いたままでは、次の主力を育てる資源を捻出できない。日立造船は造船を分社して環境企業へ転じ、後にカナデビアへ社名を変更した。社名に残っていた祖業の名も、こうして消えた。
財務諸表のどこを見るか
撤退の年には、事業整理損・減損損失・割増退職金が特別損失にまとまって計上される。売却なら関係会社株式売却損益、会社分割なら移転した資産と負債の額が注記に載る。翌期からセグメントの区分が消えるため、売上高は減少しても営業利益率は上がることが多い。見るべきはやめた後の営業キャッシュ・フローで、赤字事業を切って本当に現金が残るようになったかがここに出る。やめた事業の従業員がどこへ移ったかは、従業員数のセグメント別内訳で追える。