ブラジル事業の巨額減損と、ハイネケンへの売却による撤退

前任者が将来を託した南米の拠点を、磯崎功典社長はなぜ約6年で畳んだか

更新:

時期 2017年2月
意思決定者 磯崎功典 キリンHD 社長
論点 海外ポートフォリオの見直しと不採算事業からの撤退
概要
キリンホールディングスが、2011年に約3,040億円を投じて取得したブラジルのビール事業について、2015年12月期に約1,100億円の減損処理で473億円の最終赤字を計上したうえ、2017年2月に子会社ブラジルキリンをオランダのハイネケンへ770億円で売却し、進出から約6年で撤退した経営判断。磯崎功典社長の主導による海外ポートフォリオの見直しである。
背景
国内ビール類市場が20年にわたり縮小するなか、キリンは1990年代末から豪州・東南アジアで大型買収を重ねて海外へ傾斜していた。サントリーとの経営統合交渉が破談した翌2011年、BRICSの一角で世界3位のビール消費量を持つブラジルへ、戦略を修正してでも参入した。
内容
進出直後は好調だったブラジル事業は、2014年夏からの市場悪化とレアル安、値上げの失敗で暗転し、シェアを2位から3位へ落とした。磯崎社長は2015年12月期に巨額減損を計上して上場以来初の赤字を受け入れ、現地経営陣を刷新したうえで、最終的に売却へ踏み切った。
含意
減損と売却でブラジルの負の遺産を一掃したキリンは、2016年12月期に最終利益1,181億円へ回復し、東南アジア・オセアニアへ経営資源を戻した。BRICS景気の末期に高値でつかんだ拠点を、損失を確定させてでも手放す損切りの判断であった。
筆者の見解

高値づかみと、損切りという決断

この撤退のそもそもの入り口は、BRICS景気の高揚のさなかに下された参入であった。世界3位の消費量を持つ市場は魅力的に映り、統合破談で行き場を失った海外戦略の受け皿にもなった。だが磯崎社長自身が「あれはBRICS景気の最後のときだったのかもしれない」と述べたように、進出のタイミングは宴の終わりと重なっていた。市場の悪化と通貨安、値上げの誤算が続いたとはいえ、根にあったのは、現地に任せきる不干渉主義のまま巨額を投じた前段の判断であったようにもみえる。撤退の是非は、しばしばその入り口にさかのぼって問われる。

一方で、負けを認めて損失を確定させる判断そのものは、必ずしも容易ではない。上場以来守ってきた黒字の記録を自ら断ち、前任社長が将来を託した事業を畳むには、相応の覚悟が要ったとみられる。減損で膿を出し、翌年に売却して身軽になったキリンは、東南アジア・オセアニアという成長市場へ資源を戻した。高値づかみの傷は残ったものの、傷をどこで止めるかを決めた点に、この判断の輪郭がある。撤退を語るとき、失敗の大きさと同じだけ、退き際の速さもまた評価の対象になるのだろう。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

国内市場の縮小と海外への傾斜

キリンの主力である国内ビール類市場は、1994年をピークに縮小へ転じた。この20年間で市場は毎年およそ2%ずつ細り、四分の一が失われたとされる。縮む足元を補うため、キリンは1990年代末から海外事業を本格化させた。1998年に豪ライオンネイサンへ資本参加し、2007年に豪ナショナルフーズを約2,940億円で買収、2009年にはライオンネイサンを完全子会社化した。フィリピンのサンミゲルビール株の取得も含め、海外M&Aの総額は1兆円を超えていた[1]

東南アジア・オセアニアを海外戦略の柱に据えていたキリンにとって、ブラジルは異色の対象であった。サントリーホールディングスとの経営統合交渉が破談した翌年の2011年、キリンはブラジル2位のスキンカリオール株式の約50%を約2,000億円で取得する。残る株式を持つ株主から訴訟を起こされ、最終的に全株を買い取ったことで、買収金額は合計で約3,040億円へ膨らんだ。飛ぶ鳥を落とす勢いのBRICSの一角で、世界3位のビール消費量を持つ南米の大国は、戦略を修正してでも手に入れたい市場だったとされる[2]

決断

市場の暗転と、上場以来初の赤字

大枚をはたいて参入したブラジル事業は、滑り出しこそ好調だったが、まもなく暗転した。2014年夏ごろから市場環境が悪化し、キリンの販売数量も急落する。利益目標のために踏み切った大幅な値上げが裏目に出てシェアを失い、国内での順位は2位から3位へ落ちた。現地通貨レアルの急落も重なった。進出当時に1ドル=約1.7レアルだった相場は、2015年末に4レアル近くまで下がり、原料や資材の多くをドル建てで輸入する事業のコストを押し上げた。2015年のブラジルキリンは、のれん等償却前営業利益で117億円の赤字に沈んだ[3]

磯崎功典社長は、社長就任後初めて迎えた2015年12月期の決算で、ブラジル事業に約1,100億円の減損を計上した。この処理が響き、連結の当期純利益は473億円の赤字へ転落する。前身のキリンビールが1949年に上場して以来、最終損益が赤字になったのは初めてであった。三菱グループの一翼を担い、独占的なシェアを誇った王者にとって、赤字決算は本来あってはならないものだったとされる。磯崎社長は「黒字死守」の伝統を自ら断ち切り、「不名誉だが、個人的なことはどうでもよかった」と振り返っている[4]

不干渉主義からの転換と、売却の視野

磯崎社長はまず現地経営陣の刷新に動いた。「社内随一の切れ者」とされる常務執行役員の溝内良輔氏をブラジル専任とし、片道30時間の現地へ月に3、4回通わせた。自らも現地へ赴き、「このCEOでは無理だ」としてブラジル人CEOを更迭、競合であるハイネケン出身の営業幹部を新たなトップに招いた。豪州でもフィリピンでも現地経営陣に任せてきた不干渉主義を、磯崎社長はブラジルの失敗を教訓に転換する。ただ、その先には売却も見据えられていた。「青写真を描けない事業は持っている意味がない」との立場から、前社長の三宅占二氏が将来を託した事業であっても例外ではないと言い切っていた[5]

結果

ハイネケンへの売却と、業績の回復

減損の翌年、キリンは撤退へ踏み切った。2017年2月13日、子会社ブラジルキリンをオランダのハイネケン傘下のブラジル大手ババリアへ、770億円で売却すると発表する。ブラジル経済の低迷と競争激化で低迷が続き、「競争環境を考えると単独で高収益事業に転換するのは限界がある」と判断したためである。2011年の参入から約6年、約3,040億円を投じた事業は、売却額770億円で手放された。取得と売却の差は、キリンにとって高い勉強代となった撤退であった[6]

ブラジルの負の遺産を一掃したことで、キリンの連結業績は明確に上向いた。減損で473億円の赤字だった当期純利益は、2016年12月期に1,181億円の黒字へ転じ、2017年12月期には1,286億円へ伸びた。磯崎社長は思い描く海外戦略を東南アジア・オセアニアへの回帰に定めており、ブラジルの整理は成長市場へ経営資源を戻す動きでもあった。実利を優先するプラグマティストとして、前任者の遺産であっても収益の見込めない事業は抱えないという判断が、一連の決定に通底していたとみることができる[7]

出典・参考