- 創業
- 源流は1869年に横浜でコープランド氏が開いた醸造所で、1885年にトーマス・グラバー氏らが設立したジャパン・ブルーワリーを、1907年に三菱・明治屋・日本郵船の出資で引き継いだのが麒麟麦酒である。個人や一族の持ち物として出発しておらず、創業家出身の社長は一度も出ていない。
- 登用
- 直近20年の社長は加藤壹康氏・三宅占二氏・磯崎功典氏・南方健志氏の4人で、全員が新卒入社のプロパーである。入社から就任までは38年から40年を要し、いずれもキリンビールや協和発酵バイオといった事業会社の社長を務めたうえで持株会社のトップに就いている。
- 任期
- 戦後3位からの首位奪回を主導したのは、三菱商事から専務に迎えられ社長を15年務めた川村音次郎氏である。近年で長いのは磯崎功典氏の9年で、ブラジル撤退と上場以来初の最終赤字からの立て直しに要した時間だと思われる。三宅占二氏の5年を挟み、2024年3月に南方健志氏が継いだ。
- 含意
- 監査役会設置会社ながら取締役12名のうち7名が社外で、取締役会の議長も社外取締役が務める。CEOの選退任と後継者計画は、社外が過半を占める任意の諮問委員会が審議して取締役会へ答申する。ただし2024年以降は磯崎功典氏が代表権のある会長CEOに残り、社長は執行を担うCOOである。
1942〜1950年・9年/生え抜き
1951〜1965年・15年/外部出身
1966〜1968年・3年/生え抜き
1969〜1972年・4年/生え抜き
1973〜1977年・5年/生え抜き
1978〜1983年・6年/生え抜き
1984〜1991年・8年/生え抜き
1992〜1995年・4年/生え抜き
1996〜2000年・5年/生え抜き
2001〜2005年・5年/生え抜き
2006〜2009年・4年/生え抜き
2010〜2014年・5年/生え抜き
2015〜2023年・9年/生え抜き
南方健志現任
2024年〜現在・3年/生え抜き
南方健志
みなかた たけし
生え抜き(1984年入社)。工場勤務からミャンマー・ブルワリー社長・協和発酵バイオ社長を経て社長へ
磯崎功典
いそざき よしのり
生え抜き(1977年入社)。サンミゲル社取締役・経営企画部長を経て、キリンビール社長から持株会社社長へ
三宅占二
みやけ せんじ
生え抜き(1970年入社)。営業畑を歩み、国内酒類カンパニー社長・キリンビール社長・持株会社副社長を経て社長へ
加藤壹康
かとう かずやす
生え抜き(1968年入社)。KIRIN U.S.A.社長・北海道支社長など営業畑を歩み、2007年の持株会社移行で初代キリンホールディングス社長へ
荒蒔康一郎
あらまき こういちろう
生え抜き(1964年入社)。医薬事業本部長から医薬カンパニー社長を務め、戦後2人目の技術系出身社長として就任
佐藤安弘
さとう やすひろ
生え抜き(1958年入社)。2度の出向を経験し、1990年取締役から社長へ
真鍋圭作
まなべ けいさく
生え抜き(1955年入社)。神戸支店長・取締役秘書室長を経て、常務・専務から社長へ
本山英世
もとやま ひでよ
生え抜き(1950年入社)。企画部長・事業開発部長・大阪支店長を経て、常務・専務から社長へ
小西秀次
こにし ひでじ
生え抜き(1937年入社)。1970年取締役、1973年常務、1976年専務を経て社長へ
佐藤保三郎
さとう やすさぶろう
生え抜き(1927年入社)。明治屋勤務を経て麒麟麦酒に入り、1965年取締役、常務・専務を経て社長へ
高橋朝次郎
たかはし あさじろう
時國益夫
ときくに ますお
生え抜き(1917年入社)。仙台工場長・横浜工場長など製造畑を歩み、常務・専務を経て社長へ
川村音次郎
かわむら おとじろう
外部出身(1943年入社)。三菱合資会社・三菱商事でロンドン支店長などを務め、1943年に専務として迎えられ1951年社長へ
磯野長蔵
いその ちょうぞう
生え抜き(1907年の創立に発起人として参画)。明治屋から麒麟麦酒の設立に加わり、常務・専務を経て1942年社長へ