キリンシーグラム設立で多角化(1972年・キリンHDの決断)

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論点 拡販を自制しビール外へ多角化するか
キリンHD:業績の推移
売上高(億円)経常利益率(%)
麒麟麦酒、独禁法分割論下の拡販自制とビール外への多角化

何をなぜ決めたか:麒麟麦酒、独禁法分割論下の拡販自制とビール外への多角化

概要

1970年代前半、国内ビールシェアが6割に達した麒麟麦酒が、公正取引委員会の監視と独禁法による企業分割論を背に、拡販の自制と洋酒・飲料・食品などビール外への多角化に針路を転じた経営判断。

背景

大日本麦酒の分割を免れた麒麟麦酒は家庭用市場を押さえ、1971年にシェア58.9%へ達した。公取委は管理価格の面でビール業界を"赤信号"とみて監視を強め、市場の過半を占める同社への風当たりが強まっていた。

内容

計画生産に沿って拡販を控え、値上げは最後尾、広告宣伝費は3社中最少に抑える売り方を貫く一方、シーグラムとの合弁で洋酒に進出し、清涼飲料・食品・ファインケミカルなどへ重点を移す多角化を決めた。

含意

1975年の"昭和50年度構造計画"でシェア拡大の自粛と第一次多角化が明文化され、"勝ちすぎない経営"が計画として定着した。飲料・食品から後年の医薬参入へつながる多角化は、この判断からはじまったといえる。

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考察:「勝ちすぎの管理」という逆説の経営課題
考察

考察:「勝ちすぎの管理」という逆説の経営課題

この判断の核心は、競争の勝利を極限まで追わないという、通常の企業行動とは逆向きの選択を独走企業が自ら制度に組み込んだ点にある。同時代の資料からは、拡販の自制が受け身の萎縮ではなく、品質本位と代金回収の規律、慎重な設備投資という戦前来の体質の延長線上にあったことがうかがえる。分割論という外部圧力は、その体質を"勝ちすぎない経営"として明文化させる触媒になったと推察される。なお、分割論への社内対応の具体的な経緯は本稿の資料からは確認できず、記録に残るのは販売の現場での自制と経営計画への反映までである。

多角化の初手となった洋酒は、その後も本業に並ぶ収益源には育たなかった。それでも、飲料・食品からファインケミカルへ広げた1970年代の布石は、1980年代の医薬参入を経て、半世紀後にヘルスサイエンスを軸に据える事業構成へつながっていく。一方で、シェアを守ることを前提にした組織の運びが、1980年代末の市場変化への対応を鈍らせた面も指摘される。競争優位に立ちすぎた企業はどこで成長を探すのか——この問いを1970年代のうちに経営計画へ書き込んだ点に、この判断の射程の長さがうかがえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月
参考文献

参考文献

参考
  • 日経ビジネス 1972年7月24日号(日経マグロウヒル社)
  • 証券アナリストジャーナル 1971年第9巻第5号 佐藤保三郎(日本証券アナリスト協会)
  • 週刊東洋経済 1972年3月25日号
  • 『企業の歴史 : 明治百年』(経済春秋社, 1968)
  • キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 ロバートブラウン」
  • 会社年鑑(1976年版)

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