高橋朝次郎

キリンHD・元代表取締役社長

Takahashi Asajiro(敬称略)

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社長就任 1968年
生年月日 —
学歴 東京商科大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1927年3月に東京商科大学を出て同月に麒麟麦酒へ入り、1942年8月に営業部第一部長、1943年3月に東京支店長を兼ねた。1944年7月に麦酒配給統制へ出向し、1948年3月に酒類配給公団へ移って理事となり、1949年7月の公団解散で麒麟麦酒へ復籍して取締役営業部長に就任した。1953年3月から宣伝部長を兼ね、1958年2月に常務取締役へ進んでいる。統制と配給の時代を売る側で通した営業畑である。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1969年3月、時國益夫氏の後任として取締役社長に就任し、時國氏は取締役会長へ移った。1963年12月に営業部長を解かれたのち、1966年9月に専務取締役へ上がり、2年半で社長へ届いている。前任は1917年に東京帝国大学工学部応用化学科を出て仙台工場長・横浜工場長・製造部長を歩いた製造畑で、造る側から売る側へ社長が替わった。家庭用に販売を絞ったことが占有率を押し上げていた時期にあたる。

在任中の主な施策
施策

国内ビール占有率は在任中も上がり、1971年に58.9%、1972年12月には60.1%へ達した。売上高は1971年1月期の3236億円から1973年1月期の4297億円へ、経常利益は137億円から208億円へ伸びた。一方で企業分割論を背にシェア問題は4年にわたり国会で審議され、麒麟麦酒はウイスキー・清涼飲料水・ファインケミカル・食品へ重点を移す計画を進めた。1972年8月にキリン・シーグラムを設立し、高橋氏はウイスキー進出を20〜30年を目標とする長期事業と位置づけている。1973年9月に取締役会長へ就任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1968〜1973年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件

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