NC装置の部品供給から、産業用ロボットの自社開発による最終製品参入

1977年実施

部品を供給するか、最終製品で顧客と競うか——NCとサーボの転用で産業用ロボットへ参入した判断

時期 1977
意思決定者 稲葉清右衛門(社長)
論点 部品供給から最終製品への参入
概要
1970年代半ば、ファナックは工作機械を動かすNC(数値制御)装置を工作機械メーカーへ納める部品メーカーだった。社長・稲葉清右衛門氏は、顧客と競合しない最終製品として産業用ロボットに目をつけ、1974年に自社開発へ着手、1977年に最終製品市場へ参入した。NCを制御装置、サーボモーターを関節の動力に転用した判断である。
背景
NC装置は工作機械に組み込まれて売られる部品であり、その主な買い手は工作機械各社だった。同じ工作機械を自ら手がければ、顧客と正面から競合する。稲葉は、事業をNC・サーボ・機械を束ねた商品に限る「憲法」を掲げ、この枠内で顧客と競わない最終製品を探した。
内容
1974年に米ゲティス社とのライセンス契約でDCサーボモーターの製造販売を始め、要素技術を固めた。これを土台に産業用ロボットを自社開発し、1977年に最終製品市場へ参入。1981年12月に米GMからロボット合弁の申し込みを受け、1982年6月にGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立した。
含意
ロボットの生産台数は松下電器産業に並ぶ規模に達し、GMとの合弁も軌道に乗った。富士通ファナックの単体売上高は1977年3月期の146億円から1982年3月期の923億円へ伸び、ロボットはNCに次ぐ第二の柱に育った。
筆者の見解

顧客と競わない最終製品という選択

この判断の核心は、部品メーカーが顧客と競合しない最終製品を選び、手元の要素技術を組み替えて新しい事業を興した点にある。NC装置の買い手は工作機械メーカーであり、同じ工作機械を自ら手がければ、その顧客を敵に回す。稲葉が選んだ産業用ロボットは、自社工場の自動化から生まれた需要であり、なおかつNCとサーボを転用できる、顧客と競わない領域だった。「憲法」に事業を絞るという制約が、皮肉にも参入先を選ぶ指針として働いた。

もっとも、要素技術が同じであることは、成功を約束しない。ロボットは自動車をはじめとする設備投資の波を強く受け、その後のファナックの業績は需要の変動とともに上下した。それでも、既存の技術資産を新しい最終製品へ結び直し、顧客と競わない市場を選ぶという1974年からの選択は、NCに次ぐ第二の柱を生んだ。手持ちの技術を、どの製品として、だれと競わない形で世に出すか——部品供給から最終製品への移行を考える企業に、この判断は一つの型を示している。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

部品供給という立場と、商品を絞る「憲法」

富士通ファナックは、工作機械を数値で動かすNC(数値制御)装置を、工作機械メーカーへ納める部品メーカーだった。NCは完成した機械に組み込まれて売られるため、主な買い手は工作機械各社である。最終製品へ自ら乗り出せば、その顧客と正面から競合する。創業者・稲葉清右衛門氏は、事業をNCとサーボモーター、そして機械を束ねた商品に限る「憲法」を掲げ、この枠内で顧客と競わない新しい製品を探した[1]

自社工場の自動化という着想

もう一つの発想は、自社の工場そのものから来た。稲葉は製造部門でFA(ファクトリー・オートメーション)、すなわち工場の自動化を目標に据え、作業員の単純作業をすべてロボットへ置き換えることを構想した。人手に頼る組み立てや搬送を機械に委ねる試みは、まず自社の内部で検証され、そこで磨いた技術がそのまま外販できる最終製品の候補となった。NCとサーボを持つ同社にとって、産業用ロボットはこの二つの要素技術に機械を組み合わせた、「憲法」に沿う領域にあった[2]

決断

要素技術の転用による自社開発と1977年の参入

稲葉は、外から買った完成品を並べるのではなく、手元の要素技術を組み替えてロボットを自社開発する道を選んだ。1974年7月、米ゲティス社とのライセンス契約でDCサーボモーターの製造販売を始め、関節を精密に動かす動力源を自前でそろえた。ここで固めたサーボと、すでに世界有数のシェアを持つNCを土台に、産業用ロボットの開発を進める。そして1977年、部品にとどまっていた同社は、最終製品の市場へ参入した[3]

GMとの合弁と社名変更

自社製品を持ったファナックには、海外の巨大企業から声がかかった。稲葉によれば、1981年(昭和56年)12月、米ゼネラル・モーターズ(GM)から、ロボットの技術開発・製造・販売を担う合弁会社を米国に設けたいという申し込みが届く。ファナックはこれを受け、1982年6月にGMとの共同出資でGMFanuc ROBOTICS CORPORATIONを設立した。同じ1982年7月には社名を富士通ファナックからファナックへ改め、富士通の一部門から独立した最終製品メーカーとしての性格を強めた[4]

結果

NCに次ぐ第二の柱へ

参入から数年で、ロボットは同社の主要な事業へ育った。1985年の時点で、ファナックのロボット生産台数はトップメーカーの松下電器産業に並ぶ規模に達し、GMとの合弁も軌道に乗った。NCで世界最大となった同社は、ロボットでも世界一をうかがう位置につけた。手元の要素技術であるNCとサーボを転用した最終製品は、部品供給に次ぐ収益源となった[5]

事業の広がりは、単体の売上高にも表れた。富士通ファナックの単体売上高は、ロボットへ参入した1977年3月期の146億円から、1978年3月期には242億円へ伸び、社名をファナックへ改めた1982年3月期には923億円に達した。同期の経常利益は321億円で、NCの高収益に新事業が積み重なった時期にあたる。ロボット単体の売上規模を当時の資料は伝えていないため、その内訳までは特定できない[6]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1985年10月28日号「強さの研究・ファナック」
  • ロボット時代を拓く : 「黄色い城」からの挑戦(稲葉清右衛門, PHP研究所, 1982年)
  • 会社年鑑(1986年版)