英運用会社IFPの事業売却・6,000億円自社株買い提案を退け、多角化路線を堅持

本業への集中か、食・医・ヘルスサイエンスの多角化堅持か——IFPの株主提案に磯崎功典社長はどう応じたか

更新:

時期 2020年3月
意思決定者 磯崎功典・取締役会 社長
論点 本業集中か、多角化堅持か
概要
2020年3月27日の第181回定時株主総会で、キリンホールディングスは英運用会社インディペンデント・フランチャイズ・パートナーズ(IFP)が出した4件の株主提案をすべて否決した。IFPは医薬・ヘルスサイエンスなどの非中核事業とファンケル株の売却、その資金による最大6,000億円の自己株式取得、社外取締役2名の選任を求めていた。磯崎功典社長のもと、キリンは食・医・ヘルスサイエンスを束ねる多角化路線を堅持した。
背景
2019年12月期はビール事業の伸び悩みに加え、傘下の協和発酵バイオで製造工程の問題が表面化し、営業利益が前期の1,983億円から877億円へ落ち込んでいた。多角化への市場の疑念が強まるなか、キリン株の約2%を保有するIFPが、酒類本業への集中と株主還元の拡大を迫った。
内容
IFPは第6号議案で総額6,000億円・3億株を上限とする自己株式取得を、第9号議案でニコラス・E・ベネシュ氏と菊池加奈子氏の取締役選任を提案した。売却対象には約50%を保有する協和キリンなどの医薬・健康事業や、2019年に資本参加したファンケルの保有株が含まれた。議決権行使助言のISS・グラスルイスは一部提案を支持した。
含意
総会では会社提案の全議案が可決され、株主提案は自己株式取得が賛成8.40%、ベネシュ氏の選任が35.62%などいずれも否決された。ヘルスサイエンスをビール・飲料に次ぐ第三の柱とする戦略を株主多数が支持した一方、磯崎社長は戦略の実効性を市場へ説明する重要性を認めた。多角化の成果をどう示すかは総会後に残された。
筆者の見解

二つの見取り図のあいだで

この総会が問うたのは、企業価値の源泉をどこに置くかという、単純だが決着しにくい問いであった。IFPの見取り図では、キリンの価値は評価の高いビール・飲料に凝縮しており、性格の異なる医薬やヘルスサイエンスの同居はその評価を薄める要因となる。対する磯崎社長の見取り図では、発酵とバイオという共通の技術基盤の上に食・医・ヘルスサイエンスを並べることでこそ、酒類の成熟を超える成長が描ける。株主の多数は後者を選んだが、それは多角化が正しいと確定させたのではなく、経営陣に時間の猶予を与えた選択とみることができる。

猶予である以上、証明の責任は残った。総会後にキリンが健康事業の買収を重ねた足取りは、退けた本業集中論への反証を数字で示そうとする動きとして読める。もっとも、多角化した事業構成の評価は、個々の買収が利益に結実してはじめて定まる。約2%の株主が投げた問いは、否決という形式で退けられても、事業ポートフォリオの成否が明らかになるまで、キリンの経営に問いとして残り続けているとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

協和発酵バイオの躓きと2019年の減益

キリンホールディングスは、ビールと飲料を主力にしながら、協和キリンの医薬事業と、協和発酵バイオやファンケルのヘルスサイエンス事業を抱える多角化路線を進めていた。ところが2019年12月期は、そのヘルスサイエンスの中核に据えた協和発酵バイオで製造工程の問題が表面化し、想定した利益を確保できなかった。営業利益は前期の1,983億円から877億円へと大きく落ち込み、多角化の実効性そのものに市場の視線が集まっていた[1]

磯崎功典社長は2020年2月の決算説明会で、協和発酵バイオの計画未達を想定外と述べ、早急な立て直しが要ると語った。同社は事業利益80〜90億円を見込んでいた事業であり、キリンが95%を握る協和キリンの傘下で製造管理が行き届かなかった面もあった。それでも磯崎社長は、協和発酵バイオはヘルスサイエンスの中核であり、これによって食・医・ヘルスサイエンスが揃うと位置づけ、多角化の枠組みを崩さない構えを崩さなかった[2]

本業集中を迫った英運用会社IFP

この減益を受けて、キリン株の約2%を保有していた英運用会社インディペンデント・フランチャイズ・パートナーズ(IFP)が、多角化路線への異議を株主提案として突きつけた。IFPの主張は、収益の柱であるビール・飲料の本業に経営資源を集中し、そこから外れる医薬・ヘルスサイエンスなどの事業を切り離すべきだというものであった。2019年に資本参加したばかりのファンケル株も、その売却対象に含めていた[3]

IFPの立論は、多角化が企業価値を押し下げているという見立てに立っていた。稼ぐ力のあるビール・飲料の評価が、医薬やヘルスサイエンスという性格の異なる事業を同居させることで割り引かれている、という指摘である。減益で多角化の成果が見えにくくなった2019年の決算は、こうした本業集中論に格好の足場を与えていた。総会を前に、キリンの事業ポートフォリオそのものが論点となっていた[4]

決断

6,000億円の自己株式取得と2名の社外取締役

IFPが提出した株主提案は4件にのぼった。核となる第6号議案は、総会後1年以内に総額6,000億円、株式総数3億株を上限とする自己株式の取得を求めるものであった。あわせて第9号議案では、IFPが推す取締役候補としてニコラス・E・ベネシュ氏と菊池加奈子氏の2名の選任を提案した。非中核事業の売却で得た資金を大規模な株主還元に振り向け、外から選んだ取締役に監視させるという設計であった[5]

提案には、議決権行使助言会社の一部が同調した。ISSとグラスルイスは、IFPの提案の一部を支持するとともに、キリンの取締役候補の一部の選任には反対を推奨した。海外の機関投資家を中心に本業集中論へ理解を示す動きがあり、キリンにとっては、賛否の帰趨が読み切れない総会となりつつあった。反対票がどこまで積み上がるかが、多角化路線への信認の目盛りになろうとしていた[6]

多角化を崩さないという回答

磯崎社長は、本業集中の求めに対して事業構成の組み替えではなく、多角化の質を高める方向で応じた。ポートフォリオに満足しているわけではないとしつつ、協和キリンについては売却ではなく、まずシナジーをどれだけ引き出せるかに注力したいと述べた。医薬とヘルスサイエンスは基礎研究の途中まで重なり、医薬で蓄えた臨床データをヘルスサイエンスへ転用できるという、事業をまたぐ強みの側から多角化を正当化した[7]

キリンはヘルスサイエンスを、ビール・飲料に続く第三の柱として育てる立場を明確にした。減益の直接の原因となった協和発酵バイオも、その中核として立て直す前提であった。IFPが求めた「稼ぐ本業への回帰」と、キリンが掲げた「発酵・バイオ技術を核にした多角化」は、企業価値をどこから生むかについての相容れない二つの見取り図であった。取締役会はIFPの4議案すべてに反対し、判断を株主に委ねた[8]

結果

全提案否決という株主の答え

2020年3月27日、新型コロナウイルスの影響で出席者が例年の半数にとどまるなかで開かれた第181回定時株主総会は、IFPの株主提案4件をすべて否決した。看板であった第6号議案の自己株式取得は賛成が8.40%にとどまり、大差での否決となった。取締役選任を求めた第9号議案も、ニコラス・E・ベネシュ氏が35.62%、菊池加奈子氏が20.00%の賛成にとどまった。一方で会社提案の全議案は可決され、磯崎社長の再任は95.18%の賛成を得た[9]

数の上では圧勝であったものの、キリンはその内容を勝ち逃げとは受け止めなかった。磯崎社長は、IFPの提案を通じて、経営戦略の正当性と実効性を市場へきちんと説明していくことの重要性を認識したと語り、投資家との対話の強化に踏み込むと述べた。約2%の株主が突きつけた問いは否決されたが、多角化の成果を数字で証明する課題は、そのまま経営に残された[10]

多角化堅持のその後

否決後のキリンは、退けた本業集中論とは逆に、ヘルスサイエンスへの投資をむしろ厚くしていった。2023年に豪州の健康食品大手ブラックモアズを、2024年には資本参加先であったファンケルをTOBで完全子会社化し、第三の柱を買収で肉付けした。IFPが「売れ」と迫った健康事業は、総会後の数年でキリンの中核へさらに組み込まれ、多角化堅持の判断が言葉だけで終わらなかったことを、資本の動きが示した[11]

出典・参考