豊田自動織機からの独立(1937年・トヨタ自動車の決断) 更新:2026/07/01 論点 織機から自動車へ事業を転換するか 織機メーカーの自動車部を母体とした国産量産車の事業化 何をなぜ決めたか:織機メーカーの自動車部を母体とした国産量産車の事業化 概要 1937年8月27日、豊田自動織機製作所の自動車部が分離独立し、資本金1,200万円のトヨタ自動車工業株式会社が発足した。社長には豊田利三郎氏、副社長には自動車部を率いてきた豊田喜一郎氏が就任した。父・豊田佐吉氏が興した織機事業で得た資金と量産技術を土台に、米国製シボレーの分解調査から国産量産車へ挑んだ創業である。 背景 1929年のプラット社への特許譲渡金を研究費に、豊田喜一郎氏は1933年9月に社内へ自動車部を設置した。取締役会の承認を待たず既成事実として開発を進め、1935年11月にG1型トラックを、翌1936年9月に乗用車を発売して試作段階を抜けた。 内容 1936年9月に自動車製造事業法の許可会社となり、年産6,000台(乗用車2,500台・バス1,000台・トラック2,500台)の製造を認められると、量産投資が織機本体の財務を超える規模となり、1937年8月に分離独立した。翌1938年には刈谷の約50倍・敷地約200万平方メートルの挙母本社工場を先行建設し、大衆車の量産一貫体制を構築した。分離初年の生産は4,013台、挙母工場が動いた1939年には11,981台へ伸びた。 含意 戦後はドッジ・ライン下の資金繰り破綻で、1,600名の希望退職を募る再建案の提示、製販分離、創業者退任に追い込まれたが、人員を増やさず稼働率を高める制約がかえって量産思想を鍛え、1955年の初代クラウン発売で乗用車専業メーカーへと転じた。 いつ何が起きたか 10件 考察:織機を土台に賭けを続けた創業 考察 考察:織機を土台に賭けを続けた創業 この創業が示すのは、既存事業で得た資金と技術を、成算の定かでない次の産業へ振り向ける事業転換の構図である。豊田喜一郎氏はプラット社への特許譲渡金を元手に、織機会社の量産経験を土台として自動車へ踏み出し、取締役会の承認に先んじて現場を走らせた。織機という母体があったからこそ、国産乗用車という当時としては無謀にも映る賭けに、資金と人と設備を投じ続けられたと推察される。 創業者の豊田喜一郎氏は社長復帰の道半ばで世を去り、量産思想の結実を自らの目で見届けることはなかった。それでも原価低減と標準化を旨とする現場の文化は後継の経営陣へ受け継がれ、クラウンからカローラへと国産乗用車の量産を押し広げた。創業の判断が一人の創業者の在任を超えて事業に残ったのは、それが個人の才覚ではなく、量産で国産車の活路を開くという共有された針路であったからだといえる。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 資本金の推移 数字で見る 2表 数字で見る 図と表 トヨタ自動車:設立前後の生産台数 (台) 生産台数 1937年 4,013 1939年 11,981 1942年 16,302 表を見る トヨタ自動車:設立前後の生産台数 × (台) 生産台数 備考 1937年 4,013 トヨタ自動車工業として分離独立した年。うち乗用車577台 1939年 11,981 挙母工場の完成した翌年。設立年の約3倍へ伸びた 1942年 16,302 終戦前の最高。以後は戦局の悪化に伴い低下した 出所:会社銀行八十年史 第2篇 日本会社史「トヨタ自動車工業」p574(1955年) 出所:会社銀行八十年史 第2篇 日本会社史「トヨタ自動車工業」p574(1955年) 設立の条件 設立年月日 1937年8月27日 設立時の商号 トヨタ自動車工業株式会社 設立の形 株式会社豊田自動織機製作所からの分離独立 設立時の資本金 12,000千円 設立時の社長 豊田利三郎氏 分離前に得た製造許可 年産6,000台 設立時点の製品 トラックと乗用車 設立年の生産台数 4,013台 表を見る 設立の条件 × 科目 概要 備考 設立年月日 1937年8月27日 分離した自動車部は1933年9月に豊田自動織機製作所内へ置かれていた 設立時の商号 トヨタ自動車工業株式会社 設立の形 株式会社豊田自動織機製作所からの分離独立 織機の製造は豊田自動織機製作所に残り、自動車の製造だけを新会社が担った 設立時の資本金 12,000千円 1939年7月に3,000万円、1943年1月に6,000万円へ増資した 設立時の社長 豊田利三郎氏 副社長には自動車部を率いてきた豊田喜一郎氏が就任した 分離前に得た製造許可 年産6,000台 1936年9月に自動車製造事業法の許可。乗用車2,500台・バス1,000台・トラック2,500台 設立時点の製品 トラックと乗用車 トラックは1935年11月、乗用車は1936年9月に発売していた 設立年の生産台数 4,013台 うち乗用車は577台。乗用車は戦時下でこの年を最高に年々低下した 本社工場 挙母工場 1935年12月に着工し、1938年11月の完成とともに刈谷から移転した 株式上場 1949年5月 東京・名古屋・大阪の各証券取引所に上場した 出所:トヨタ自動車 有価証券報告書 第102期(2006年3月期)【沿革】/会社銀行八十年史 第2篇 日本会社史「トヨタ自動車工業」p574(1955年)/企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968) 出所:トヨタ自動車 有価証券報告書 第102期(2006年3月期)【沿革】/会社銀行八十年史 第2篇 日本会社史「トヨタ自動車工業」p574(1955年)/企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968) 参考文献 参考文献 参考会社銀行八十年史 第2篇 日本会社史「トヨタ自動車工業」p574(1955年)企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社編, 1968)トヨタ自動車75年史トヨタ自動車 有価証券報告書「第102期(2006年3月期)【沿革】」 次に読む決断 トヨタ自動車の意思決定1959年トヨタ自動車トヨタ自動車元町工場の建設日本初の乗用車専門工場・量産体制への転換1959年1966年トヨタ自動車トヨタ自動車カローラの本格投入大衆車市場を狙った高岡工場への集中投資と量産体制の構築1966年同じ問い:経営再建のための事業売却1950年川崎重工業川崎重工業川崎製鉄を分離独立製鉄部門の切り出しと、造船・造機・電機3部門への集約1950年1932年安川電機安川電機モートル事業へ集中配電盤と変圧器の切り捨てと、単一製品への集中1932年1984年明治製糖明治製糖明糖産業へ営業譲渡三菱商事全額出資の受け皿への全営業譲渡と、旧会社の解散1984年2025年日本精工日本精工ステアリング事業の全株買戻しいったん分社し投資ファンドへ渡した過半株式の2年での取り戻し2025年2024年ユニチカユニチカREVIC支援下の繊維撤退祖業を畳むための870億円の金融支援と経営陣の総退陣2024年 × 出所