マツダの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

資金と販路は外部に依存しながら、作る製品だけは自社で決めてきた。1927年に機械製造へ事業目的を改めた東洋工業は、翌1928年に日本窒素肥料社長の野口遵氏の保証で芸備銀行から設備資金を得て、海軍工廠の指定工場となる。しかし軍の発注は軍縮のたびに増減したため、松田重次郎社長は自社の量産製品として三輪トラックを選び、1931年に三菱商事の販売網でマツダ号DA型を市場に出した。三輪と四輪の生産台数が入れ替わった1958年には、1トン積みの四輪トラックDMA型ロンパーを発売している。

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