決断
資金と販路は外部に依存しながら、作る製品だけは自社で決めてきた。1927年に機械製造へ事業目的を改めた東洋工業は、翌1928年に日本窒素肥料社長の野口遵氏の保証で芸備銀行から設備資金を得て、海軍工廠の指定工場となる。しかし軍の発注は軍縮のたびに増減したため、松田重次郎社長は自社の量産製品として三輪トラックを選び、1931年に三菱商事の販売網でマツダ号DA型を市場に出した。三輪と四輪の生産台数が入れ替わった1958年には、1トン積みの四輪トラックDMA型ロンパーを発売している。
2017年8月 トヨタとの資本業務提携
業績の推移2016 2017 2022 売上高(兆円) 3.4 3.2 3.1 営業利益率(%) 6.7 3.9 3.3 2015年11月 フォードとの提携解消
業績の推移2014 2015 2020 売上高(兆円) 2.7 3.0 3.4 営業利益率(%) 6.8 6.7 1.3 1996年4月 フォードの出資引き上げ
業績の推移1995 1996 2001 売上高(兆円) 2.2 1.8 2.0 純利益率(%) -1.9 -0.6 -7.7 1989年9月 5チャネル体制の破綻
1979年11月 住友銀行主導の再建
住友銀行主導の再建石油危機で経営危機に陥った東洋工業を、主力銀行の住友銀行が派遣役員と専担の部で立て直し、最後にフォードへの25%の資本参加で外資の後ろ盾を得た再建同じ経営論点に直面した企業 | 提携・合弁業績の推移1978 1979 1984 売上高(兆円) 0.7 0.8 1.4 経常利益率(%) 2.2 3.7 3.9 1967年5月 ロータリーエンジン量産化
ロータリーエンジン量産化資本自由化と業界再編の圧力のなか、後発の東洋工業が外資提携・合併ではなく独自技術のロータリーに賭けて単独路線を選び、1967年に世界初の量産ロータリーを実現した判断。技術的には成功したが、石油危機で燃費の弱点が露呈し、のちの外資フォードとの提携へ連なった。同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1966 1967 1972 売上高(億円) 1,291 1,671 3,443 計上利益金率(%) 7.2 6.0 2.4 1920年1月 広島のコルク会社から転身