- 創業
- 1920年1月、広島のコルク業者を束ねる再建会社として東洋コルク工業が設立され、翌1921年に機械技術者の松田重次郎氏が2代目社長に迎えられた。長男の松田恒次氏、その長男の松田耕平氏へと続いた松田家3代の経営は56年に及んだが、1977年12月の退陣で途切れ、以後は一人も出ていない。
- 登用
- 2003年8月に井巻久一氏が16年ぶりの生え抜きとして就いてから、5代続けて新卒入社の内部昇格である。入社から社長就任までは36年から41年。本社や防府の工場長、北米の販売子会社トップを経た人が多く、生産か海外の現場を任されることが昇格の関門になっているように見える。
- 任期
- ロータリーと四輪化を決めた松田恒次氏の19年を最後に、10年を超える政権は出ていない。フォードが経営権を握った1996年からの7年間は4人が入れ替わり、1人あたり2年に満たなかった。直近は小飼雅道氏と丸本明氏がそろって5年で、毛籠勝弘氏は2023年6月から3年目に入っている。
- 含意
- トップの顔ぶれは資本の持ち主が代わるたびに入れ替わってきた。創業家の退陣を決めたのは住友銀行、外国人社長を送り込んだのはフォードである。2015年に出資が解消された今、後継を審議するのは社外が過半の任意の諮問機関だが、責務は答申までで議長は代表取締役会長が務め、外から口を挟む主体はいないように見える。
1949〜1950年・2年/創業家
1951〜1969年・19年/創業家
1970〜1976年・7年/創業家
1977〜1983年・7年/生え抜き
1984〜1986年・3年/生え抜き
1987〜1990年・4年/外部出身
1991〜1994年・4年/外部出身
1995〜1996年・2年/外部出身
1997〜1998年・2年/外部出身
1999〜2000年・2年/外部出身
2001〜2002年・2年/外部出身
2003〜2007年・5年/生え抜き
2008〜2011年・4年/生え抜き
2012〜2016年・5年/生え抜き
2017〜2021年・5年/生え抜き
毛籠勝弘現任
2022年〜現在・5年/生え抜き
毛籠勝弘
もろ まさひろ
生え抜き(1983年入社)。欧州子会社副社長・米国子会社社長兼CEOを経て、取締役専務執行役員から社長へ
丸本明
まるもと あきら
生え抜き(1980年入社)。開発・設計畑が長く、1999年に41歳で取締役、経営企画や米州事業を担当して副社長から社長へ
小飼雅道
こがい まさみち
生え抜き(1977年入社)。防府工場長・タイ合弁会社社長など生産畑を歩み、取締役専務執行役員から社長へ
山内孝
やまのうち たかし
生え抜き(1967年入社)。企画本部長から取締役・常務・専務・副社長を経て社長へ
井巻久一
いまき ひさかず
生え抜き(1965年入社)。技術本部長・本社工場長から常務・専務・副社長を経て、16年ぶりの生え抜き社長へ
外部出身(フォード・モーターから)。「ミレニアムプラン」の実行を担い、欧州フォード再建のため2003年8月に呼び戻された
外部出身(フォード・モーターから)。1998年に38歳でマツダ専務に就き、1999年12月に社長兼CEOへ
外部出身(フォード・モーターから)。フォード・ニュージーランド社長などを経て1997年6月にマツダ副社長、同年11月に社長へ
外部出身(フォード・モーターから)。1994年6月に副社長として着任し、フォードの出資比率引き上げに伴い初の外国人社長となった
和田淑弘
わだ よしひろ
外部出身(1983年に住友銀行から)。住友銀行取締役から東洋工業へ移り、専務・副社長を経て社長へ
古田徳昌
ふるた のりまさ
外部出身(1985年にマツダ入社)。通商産業省貿易局長を最後に退官して移り、社外出身として初の社長となった
山本健一
やまもと けんいち
生え抜き(1946年入社)。ロータリーエンジン研究部長として実用化を主導し、常務・専務を経て社長へ
山崎芳樹
やまさき よしき
生え抜き(1938年入社)。生産技術畑を歩み、経営破綻の責任を取った松田耕平の退陣を受けて創業家以外から初めて社長へ
松田耕平
まつだ こうへい
創業家(松田恒次の長男)。広島マツダ・オート広島の社長を経て、1970年11月の父の死去に伴い社長へ
松田恒次
まつだ つねじ
創業家(松田重次郎の長男)。常務・専務を歴任し、1951年12月に会長へ退いた父の跡を継いで社長へ
松田重次郎
まつだ じゅうじろう
創業家。大阪で松田製作所を興した機械技術者で、1921年に地元の要請で東洋コルク工業(後の東洋工業)の社長に迎えられ、松田家3代の経営の礎を築いた