松田耕平

マツダ・元取締役社長

Matsuda Kohei(敬称略)

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社長就任 1970年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1922年に広島で生まれ、1947年9月に慶應義塾大学法学部を卒業した。1956年2月に広島マツダ取締役、同年5月に同社の取締役社長、1959年9月にマツダオート広島の取締役社長と系列の販売会社を歩き、1961年6月に東洋工業の取締役副社長へ移っている。本社の部長職を経ずに副社長へ就任しており、社長就任までの職歴は創業家が押さえる販売会社に限られる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1970年11月に取締役社長へ就任した。副社長としての在任は1961年6月からの9年余りである。同じ時期に副社長を務めた村尾時之助氏は、1927年3月に広島高等工業学校を出て1937年6月に入社し、1939年8月取締役、1943年12月常務取締役、1959年12月専務取締役、1969年12月取締役副社長と本社一筋に進んでいた。前任は父の松田恒次氏で、社内の序列よりも創業家の継承が優先された人事だった。

在任中の主な施策
施策

売上高は1972年10月期の3443億円から1974年10月期の5182億円へ伸びた一方、経常利益は1973年10月期の128億円から1974年10月期は82億円へ落ち、1975年10月期には経常損失173億円・当期損失17億円の赤字に転じた。1976年1月には住友銀行の常務取締役だった村井勉氏が取締役副社長として入り、社長補佐と人事・広報部を担当した。松田氏は1977年12月に取締役会長へ退き、社長を山崎芳樹氏へ渡している。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1970〜1977年
在任中の業績
就任前(FY69)2,217億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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