松田恒次
マツダ・元取締役社長
社長就任 1951年12月
生年月日 —
学歴 大阪市立工業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
創業者である松田重次郎氏の長男として1927年7月に東洋工業へ入り、1938年8月に取締役、1940年7月に常務取締役、1944年4月に専務取締役へ進んだ。1947年8月にいったん取締役を辞し、1950年7月に復帰して同年9月に専務取締役へ戻っている。1958年10月期の大株主では個人として7位に2.1%を持ち、経営の職位と持株の双方を握る創業家だった。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1951年12月に取締役社長へ就任した。1947年8月に取締役を辞してから復帰したのが1950年7月で、専務取締役に戻って1年余りでの昇格である。前任は創業者で父の松田重次郎氏だった。就任直後の1952年10月期の売上高は53億円で、三輪トラックが戦後復興の需要を取り込んでいた時期にあたる。
在任中の主な施策
施策
1958年4月に小型四輪トラック、1960年5月に軽乗用車、1964年4月に小型乗用車を発売して四輪へ広げ、1961年2月に西ドイツのNSU社・バンケル社とロータリーエンジンの技術提携を締結した。1967年5月には初のロータリーエンジン搭載車コスモスポーツを発売している。ロータリーエンジンの量産化を進め、他社との資本提携を採らない道を選んだ。売上高は1952年10月期の53億円から1969年10月期には2039億円へ伸びた。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1951〜1970年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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