- 創業
- 1946年に本田宗一郎氏が浜松で本田技術研究所を興し、1948年9月に本田技研工業を設立した。本田宗一郎氏は1973年10月まで25年にわたり社長を務め、副社長の藤沢武夫氏と同時に退いている。会社は本田家のものではないとして世襲を退けたため、創業家の社長は初代で途切れた。
- 登用
- 直近20年の社長は福井威夫氏・伊東孝紳氏・八郷隆弘氏・三部敏宏氏の4人で、全員が新卒で入った生え抜きの技術者である。外部から招いた社長は一人もおらず、創業者を除く8人のうち6人が本田技術研究所の社長を経てから本社の社長に就いている。
- 任期
- 25年の本田宗一郎氏を除けば、10年に達した社長は組織による経営へ移した河島喜好氏だけで、以後は6年前後での交代が続く。直近3代は伊東孝紳氏が6年、八郷隆弘氏が6年、三部敏宏氏が2021年4月から5年で、2026年6月の総会で再任された。
- 含意
- 開発の頂点がそのまま経営の頂点になる会社で、技術路線の転換と社長交代が重なる。2021年の全面EV化宣言も2026年のその撤回も三部敏宏氏が出した。指名は2021年から法定の指名委員会が担い、2026年6月に社外取締役だけの構成へ改めたが、候補は今も研究所を通った技術者に限られている。
歴代社長1947年195019601970198019902000201020202026年
1947〜1971年・25年/創業家
1972〜1981年・10年/生え抜き
1982〜1988年・7年/生え抜き
1989〜1996年・8年/生え抜き
1997〜2001年・5年/生え抜き
2002〜2007年・6年/生え抜き
2008〜2013年・6年/生え抜き
2014〜2019年・6年/生え抜き
三部敏宏現任
2020年〜現在・7年/生え抜き
三部敏宏
みべ としひろ
生え抜き(1987年入社)。パワートレイン開発から本田技術研究所の社長を経て本体社長へ
八郷隆弘
はちごう たかひろ
生え抜き(1982年入社)。四輪の車体設計から鈴鹿製作所長・中国統括子会社副総経理を経て本体社長へ
伊東孝紳
いとう たかのぶ
生え抜き(1978年入社)。四輪の車体設計から本田技術研究所の社長を経て本体社長へ
福井威夫
ふくい たけお
生え抜き(1969年入社)。ホンダ・レーシングと本田技術研究所の社長を経て本体社長へ
吉野浩行
よしの ひろゆき
東大航空学科から本田技術研究所に入った技術者。同期の入交昭一郎を支える役回りから社長へ
川本信彦
かわもと のぶひこ
「本田宗一郎をしばらく忘れろ」「本田は普通の会社になる」と繰り返し、創業者の成功体験からの脱却を掲げた4代目
久米是志
くめ ただし
本田技術研究所の取締役・常務・専務・社長を経て本社社長に就いた、研究所側から出た生え抜き
河島喜好
かわしま きよし
創業者2人が同時に退いたあとを45歳で継いだ、本田技研の生え抜き2代目社長
本田宗一郎
ほんだ そういちろう
本田技術研究所を浜松で興した創業者。内燃機関の製造工法で百数十件の特許を取り、その実用化のために本田技研工業へ改組した技術者