本田宗一郎

ホンダ・元取締役社長(資本金100万円で設立)

Honda Soichiro(敬称略)

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社長就任 1948年9月
生年月日 1906年1月1日
学歴 二俣尋常高等小学校 高等科卒
出自 —
社長就任までの出自
出自

1946年10月、静岡県浜松市に本田技術研究所を開設した。当初は幅の広い織物を織る織機を考えたが資金が足りず、戦争中に軍が通信機で使っていた小型エンジンを買い集め、自転車に取り付けて売る商売へ切り替えた。1948年9月、この研究所を継承して資本金100万円で本田技研工業を設立した。1949年8月には2サイクルエンジンのドリーム号D型を仕上げ、エンジンを卸す供給者から完成車メーカーへ移った。同月に藤沢武夫氏が入社し、技術と経営を分ける組み合わせが固まった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

自ら興した会社の社長であり、前任者はいない。資本の裏づけも本人と藤沢武夫氏が握り、1955年8月時点の大株主は1位が本田宗一郎氏、2位が藤澤武夫氏であった。1957年12月2日に東京証券取引所へ上場した時点でも、本田宗一郎氏が118万4千株、藤沢武夫氏が70万3千株を持ち、三菱銀行の40万株を上回っていた。資本金は1952年6月の600万円から1953年12月の6,000万円まで積み増され、上場時には3億6,000万円へ増えた。

在任中の主な施策
施策

1951年ごろ、輸入防止を政府に求める業者の会合には加わらず、資本金6,000万円に対し4億円の工作機械をスイス・アメリカ・ドイツから買い入れた。1954年3月には英国マン島のTTレースへ参加すると宣言し、1961年に125ccと250ccの二種目を制した。1963年6月には軽トラックと小型スポーツカーで四輪へ参入し、乗用車メーカーの集約を掲げた特定産業振興臨時措置法案の枠には加わらなかった。排出ガス規制にはCVCCで応じ、1973年10月に藤沢武夫氏と同時に退いた。 本田技術研究所の創業本田宗一郎の創業

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1906〜1981年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
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