河島喜好

ホンダ・元取締役社長(45歳で就任)

Kawashima Kiyoshi(敬称略)

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社長就任 1973年10月
生年月日 —
学歴 浜松工業専門学校機械科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1973年10月、45歳で本田技研工業の社長に就任した。創業一族には属さない。本田宗一郎氏が、本田技研は本田家のものではなく株主のもの、世間のものだとして世襲を退けた末の登用であった。持株の裏づけもなく、就任後の1975年2月期の大株主上位はホンダ興産・三菱銀行・三菱信託銀行が占め、創業者個人の名は上位に並ばなかった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

前任の本田宗一郎氏は66歳、藤沢武夫副社長は62歳で、1973年10月に2人そろって経営の第一線を退いた。2人は20年ほど前から、一番良い時期に家の者へ渡さずに辞める方針を取っていた。1970年ごろには4人の専務へ代表権を分け、承継の下地を作っていた。業績が悪化する前の交代で、直前の1973年2月期の単体売上高は3,277億円、経常利益は183億円であった。

在任中の主な施策
施策

1977年、日本製乗用車の対米輸出が前年の史上最高を更新し、輸入規制の圧力が高まった。1978年3月、日本の自動車メーカーとして初めて米国にホンダオブアメリカマニュファクチュアリングを設立した。オハイオ州メアリズビルでは1979年に年産6万台の二輪工場、1982年に年産36万台のアコード工場が稼働し、四輪だけで13億ドルを投じ、従業員は5,300名に達した。1980年2月には販売金融のアメリカンホンダファイナンス・コーポレーションを設けた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1973〜1992年
在任中の業績
就任前(FY72)3,277億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
河島喜好の経歴

河島喜好の経歴社長就任に至るキャリア。就任年は有価証券報告書などの開示情報に基づく

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