久米是志

ホンダ・元取締役社長

Kume Tadashi(敬称略)

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社長就任 1983年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1954年に入社し、1969年に本田技術研究所の取締役、1971年に常務、1974年に専務、1977年から1981年まで同研究所の社長を務めた。1979年に本田技研工業の専務となり、1983年に社長へ就任した。研究所側から出た生え抜きで、創業家との血縁も持株の裏づけも持たない。前任の河島喜好氏が広げた大部屋の重役室とトロイカ方式による全員参加の運営を引き継いだ。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1983年、河島喜好氏が55歳で社長を退き、久米是志氏が後を継いだ。創業者から数えて2代続けて、創業家に属さない生え抜きが社長に就任した。直前の1983年2月期の単体売上高は1兆7,469億円、経常利益は506億円で、業績が伸びている最中の交代であった。北米では1982年にオハイオのアコード工場が稼働したばかりで、現地生産を広げる仕事が引き継がれた。

在任中の主な施策
施策

1985年にオハイオ州アンナへ年産50万基のエンジン工場を、1989年にイーストリバティへ年産15万台のシビック工場を新設した。アコードの米国現地生産は1984年3月期の5万台から1991年3月期に33万台へ増えた。1987年12月には米国でGM・フォード・クライスラーに次ぐ第4位を占め、年販100万台を狙う位置にあった。1989年8月には英国に欧州子会社を統轄するホンダモーターヨーロッパを設立した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1954〜1990年
在任中の業績
就任前(FY82)17,469億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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