川本信彦

ホンダ・元取締役社長

Kawamoto Nobuhiko(敬称略)

更新:
社長就任 1990年6月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1990年6月、専務取締役から社長に就任した生え抜きである。開発畑を歩き、社長に就任してからは開発総責任者に営業・生産・購買の各畑から人を抜擢して、技研貴族と呼ばれた技術者の唯我独尊の体質を崩した。社長を支える副社長を置かず、判断を社長ひとりへ集めた。創業家との血縁も持株の裏づけも持たない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1990年6月、久米是志氏の後任として社長に就任した。直前の1990年3月期には単独の経常利益が905億円あったが、バブル崩壊と円高が重なった1994年3月期には227億円と4分の1へ減少した。1995年の元旦には、本田技研工業と三菱自動車工業が合併するという観測記事が新聞の1面トップに載った。RVで勢いのある三菱自工と乗用車に固執するホンダが補完し合うという銀行筋の計算が発端にあった。

在任中の主な施策
施策

合併説は退け、規模の効果よりも変化に素早く対応する企業を目指した。1993年には国内販売を60万台強から1998年までに80万台へ引き上げる目標を掲げ、開発投資のうち国内専用モデルが5%しかなかった配分を国内向けへ振り替えた。1994年秋のオデッセイ、1995年秋のCR-V、1996年のステップワゴンとS-MXが相次いで売れた。1997年3月期の単独経常利益は1,550億円と前年の3.3倍に達した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1990〜1998年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
川本信彦の経歴

川本信彦の経歴社長就任に至るキャリア。就任年は有価証券報告書などの開示情報に基づく

免責事項およびポリシー