- 創業
- 1933年12月、鮎川義介氏が日本産業と戸畑鋳物の共同出資で自動車製造株式会社を設立し、初代社長に就いた。翌1934年に日産自動車へ改称している。鮎川氏が社長の座にあったのは1930年代までで、敗戦後の公職追放で首脳が一掃されて以降、創業家出身の社長は一度も戻っていない。
- 登用
- 直近20年のトップは4人で、うち2人が外国人である。ルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン氏、1977年入社の西川廣人氏、日商岩井を経て2003年に移った内田誠氏、同じ年にメキシコ日産へ入ったイヴァン・エスピノーサ氏。新卒の生え抜きが順に上がる型はすでに崩れている。
- 任期
- 1957年から16年の川又克二氏、1999年の着任から2018年に会長を解かれるまで19年のカルロス・ゴーン氏と、危機のたびに長い政権が生まれた。直近3代は西川廣人氏が2年5か月、内田誠氏が5年4か月、現任は2025年4月からで、いずれも短い。
- 含意
- 2019年6月に監査役会設置会社から指名委員会等設置会社へ移った。取締役11名のうち7名が独立社外で、後継者計画を持つ指名委員会も5名中4名が社外、社長兼CEOは委員に入っていない。ルノーが取締役2名を推薦する構図も残り、トップの首は社内の論理だけでは決まらないように見える。
1946〜1949年・4年/生え抜き
1950〜1956年・7年/生え抜き
1957〜1972年・16年/外部出身
1973〜1975年・3年/生え抜き
1976〜1983年・8年/生え抜き
1984〜1991年・8年/生え抜き
1992〜1995年・4年/生え抜き
1996〜1998年・3年/生え抜き
1999〜2015年・17年/外部出身
2016〜2018年・3年/生え抜き
2019〜2023年・5年/生え抜き
2024年〜現在・3年/生え抜き
生え抜き(2003年メキシコ日産入社)。一貫して商品企画畑を歩み本体社長へ
内田誠
うちだ まこと
中途入社(1991年日商岩井、2003年に日産へ転じる)。中国事業の統括を経て本体社長へ
西川廣人
さいかわ ひろと
生え抜き(1977年入社)。米欧駐在とルノー日産共同購買会社を経て本体社長へ
外部出身(1999年にルノーから)。ミシュランで北米・ブラジルを率い、ルノー上席副社長を経て日産へ
塙義一
はなわ よしかず
生え抜き。追浜工場に長く在籍し、北米日産の社長を経て本体社長へ
辻義文
つじ よしふみ
生え抜き(1954年入社)。横浜・栃木の工場を歩いた生産畑から本体社長へ
久米豊
くめ ゆたか
生え抜き(1946年入社)。吉原・栃木の工場長を歴任した生産畑から本体社長へ
石原俊
いしはら たかし
生え抜き(1937年入社)。企画・経理から米国日産の社長として輸出を担い本体社長へ
岩越忠恕
いわごし ただひろ
生え抜き(1937年入社)。東京乗合自動車から転じ、副社長を経て社長へ
川又克二
かわまた かつじ
外部出身(1947年に日本興業銀行から)。公職追放で首脳を失った日産へ経理担当の常務として送り込まれ、のち社長へ
浅原源七
あさはら げんしち
生え抜き(1931年に前身の戸畑鋳物へ入社)。技術者として鮎川義介を支え、戦時中の社長を経て戦後に復帰
生え抜き。公職追放で首脳が一掃されたあと、取締役総務部長から社長に就いた