1996年2000年2010年2020年2026年
創業社長の関係
創業
1933年12月、鮎川義介氏が日本産業と戸畑鋳物の共同出資で自動車製造株式会社を設立し、初代社長に就いた。翌1934年に日産自動車へ改称している。鮎川氏が社長の座にあったのは1930年代までで、敗戦後の公職追放で首脳が一掃されて以降、創業家出身の社長は一度も戻っていない。
社長登用の傾向
登用
直近20年のトップは4人で、うち2人が外国人である。ルノーから送り込まれたカルロス・ゴーン氏、1977年入社の西川廣人氏、日商岩井を経て2003年に移った内田誠氏、同じ年にメキシコ日産へ入ったイヴァン・エスピノーサ氏。新卒の生え抜きが順に上がる型はすでに崩れている。
社長任期の傾向
いまの体制への含意
含意
2019年6月に監査役会設置会社から指名委員会等設置会社へ移った。取締役11名のうち7名が独立社外で、後継者計画を持つ指名委員会も5名中4名が社外、社長兼CEOは委員に入っていない。ルノーが取締役2名を推薦する構図も残り、トップの首は社内の論理だけでは決まらないように見える。
| 氏名 | 社長在任期間 退任年は推定 | 在任年数 推定 | 状況 | 出自 | 役職 | 在任中の決断 | 施策 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 箕浦多一(1947年就任) | 1947〜1951年1947年就任 | 4年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長(当時の社名は日産重工業) | ||
| 浅原源七(1951年就任) | 1951〜1957年1951年就任 | 6年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長(復帰) | ||
| 川又克二(1957年就任) | 1957〜1973年1957年就任 | 16年 | 退任 | 外部出身 | 取締役社長 | 決断1966年プリンス自動車との合併 | |
| 岩越忠恕(1973年就任) | 1973〜1977年1973年就任 | 4年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長 | ||
| 石原俊(1977年就任) | 1977〜1985年1977年就任 | 8年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長 | 決断1984年英国サンダーランド進出 | |
| 久米豊(1985年就任) | 1985〜1992年1985年就任 | 7年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長 | 決断1987年企業文化の刷新 | |
| 辻義文(1992年就任) | 1992〜1996年1992年就任 | 4年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長 | 決断1993年座間工場の生産中止 | |
| 塙義一(1996年就任) | 1996〜2000年1996年就任 | 4年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長 | 決断1999年ルノーとの資本提携 | |
| カルロス・ゴーン(2000年就任) | 2000〜2017年2000年就任 | 17年 | 退任 | 外部出身 | 取締役社長、最高執行責任者 | ||
| 西川廣人(2017年就任) | 2017〜2019年2017年就任 | 3年 | 退任 | 生え抜き | 取締役社長兼CEO | 決断2017年完成検査の無資格発覚2018年ゴーン会長の逮捕 | |
| 内田誠(2019年就任) | 2019〜2025年2019年就任 | 5年 | 退任 | 外部出身 | 代表執行役社長兼CEO | ||
| イヴァン・エスピノーサ(2025年就任) | 2025年〜現任2025年就任 | 2年 | 現任 | 生え抜き | 代表執行役社長兼最高経営責任者 | 2003年10月にメキシコ日産自動車会社へ入社した。2008年7月にタイ日産自動車会社のマーケティングダイレクター、2014年4月に日産インターナショナル社のVPを務め、2016年4月に日産自動車本体のプログラムダイレクターへ移った。2024年4月にはチーフ プランニング オフィサーとして商品計画を統括している。入社から社長就任まで21年、うち本体での勤務は9年だった。 | 決断2025年Re:Nissanで7工場統廃合 |
歴代社長の在任期間 全12代
1947年1950年1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年