経営再建計画「Re:Nissan」——7工場の統廃合と2万人削減

2025年実施

ホンダとの統合が消え単独再建に臨んだイヴァン・エスピノーサ氏は、過剰生産をどう畳もうとしたのか

時期 2025年5月
意思決定者 イヴァン・エスピノーサ(社長兼CEO)
論点 過剰生産能力の解消と単独再建の道筋
概要
2025年5月、日産自動車がイヴァン・エスピノーサ社長のもとで経営再建計画「Re:Nissan」を公表し、2027年度までに世界の車両生産工場を17から10へ減らして7工場を統廃合し、全従業員の約15%にあたる2万人を削減すると決めた経営判断。神奈川県の追浜工場も車両生産を2027年度末に終える。
背景
2025年3月期に日産は6708億円の最終赤字を計上した。中国・北米での販売不振に、拡大期に積み増した生産能力の過剰が重なり、値引きと在庫がコストを圧迫した。ホンダとの経営統合協議も2025年2月に破談し、規模を外から補う道が閉じるなか、単独での立て直しを迫られた。
内容
4月に社長へ就いたエスピノーサ氏は前中期計画「The Arc」を撤回し、Re:Nissanへ差し替えた。固定費・変動費で計5000億円のコスト削減を掲げ、7月には母国の主力拠点である追浜工場の車両生産を2027年度末に終え、子会社の日産自動車九州へ移すと発表した。
含意
1990年代の座間・村山に続き、日産はふたたび国内工場の閉鎖に踏み込んだ。今回は、規模を確保するために生産能力を持ち続ける発想から、量に頼らない収益への転換をめざす。ただ、2027年3月期に見込む200億円の最終黒字は費用削減が先に効く薄いもので、工場と人を減らしたあと何を売って稼ぐかは、まだ答えが出ていない。
筆者の見解

規模を追わない再建の入り口

この再建の核心は、日産が長く抱えてきた過剰生産能力に、母国の主力拠点まで含めて手をつけた点にある。1990年代の座間、村山でも国内工場の閉鎖に踏み込んだが、そのときはフルライン堅持と系列依存という枠の内にとどまった。追浜を含む7工場の統廃合と2万人の削減は、量を確保するために能力を持ち続ける従来の発想を、量に頼らない収益へと組み替えようとする試みだった。ホンダとの統合が消え、規模を外から補う道が閉じたことが、この単独で身を削る決断を後押ししたとみることができる。

もっとも、能力を削るだけで再建が成るわけではない。2027年3月期に見込む200億円の最終黒字は費用削減が先に効く薄いもので、北米や中国で販売が振るわなければ、売上高の減少と利益の細りが同時に進む縮小均衡に陥りかねない。工場と人を減らした先で、日産が何を売って稼ぐのかという商品と市場の答えは、まだ数字になっていない。座間から追浜へと続く能力削減の歴史は、痛みを伴う整理が再建の入り口ではあっても、それだけでは出口にならないと教えている。日産の再建が本物になるかは、削ったあとの一手で決まる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

25年ぶりの巨額赤字と統合構想の頓挫

日産自動車が2025年5月13日に発表した2025年3月期の連結決算は、6708億9800万円の最終赤字だった。前の期の4266億円の黒字から一転しての転落である。中国では現地勢の台頭で販売が崩れ、北米でも値引き競争と在庫の膨張が採算を削った。米国の関税の影響も出始め、日産は主力の二市場で同時につまずいた。拡大期に積み増した生産能力を抱えたまま販売が縮み、赤字は膨らんでいた[1]

危機の最中、頼みかけた相手とも別れた。日産はホンダと2024年末から経営統合を協議していたが、対等な統合を求める日産と規模で勝るホンダの溝は埋まらず、2025年2月13日に協議の打ち切りを正式発表した。EVでの連携は残したものの、統合による規模の確保という道は閉じた。業績悪化の責任を明確にするため内田誠社長は3月末で退き、4月、商品企画を統括してきた46歳のイヴァン・エスピノーサ氏が社長兼CEOに就いた[2][3]

過剰生産という重荷

赤字の芯には、売れる量を上回る生産能力があった。1990年代の座間、村山に続いて国内外で拠点を整理してきた日産だが、2010年代に世界販売の拡大をめざして積み増した工場は、販売が細ると一転して固定費の重荷になった。工場の稼働率は下がり、値引きを重ねて在庫を掃く販売が常態化する。日産は再建に向けて国内で一部工場の稼働停止に踏み込む方針を固め、世界で従業員の15%にあたる2万人の削減へ動いた[4]

決断

経営再建計画「Re:Nissan」

2025年5月13日、日産は決算と同時に経営再建計画「Re:Nissan」を公表した。エスピノーサ氏は就任直後に前任の中期計画「The Arc」を撤回し、これに差し替えた。柱は、2027年度までに世界の車両生産工場を17から10へ減らして7工場を統廃合すること、そして生産や間接部門、研究開発にまたがって従業員2万人を削減することにある。固定費と変動費で計5000億円のコストを削り、2026年度の黒字転換をめざす計画だった[5]

削減の刃は、国内の工場にも向かった。世界に17ある車両工場を2027年度までに10へ減らす計画では、これまで海外の整理が中心だった日産が、国内の拠点も閉鎖の対象に含めた。エスピノーサ氏は、工場閉鎖や人員削減を「簡単ではなく非常に悲しく痛みを伴う」としながら、現在の生産規模は「持続可能ではない」[6]と述べ、経営の立て直しに欠かせない選択だと訴えた。量を確保するために能力を抱え続ける経営に、正面から見切りをつける決断であった。

追浜工場の生産終了

計画のなかで最も象徴的だったのが、母国の主力拠点への決断である。2025年7月15日、日産は追浜工場(神奈川県横須賀市)の車両生産を2027年度末に終えると発表した。生産する「ノート」などは、順次、子会社の日産自動車九州(福岡県苅田町)へ移す。あわせて、日産車体の湘南工場(神奈川県平塚市)への生産委託も2026年度までに終える。追浜は1961年の稼働以来、日産の量産を担い、電気自動車「リーフ」も送り出してきた神奈川の拠点だった[7]

工場の閉鎖は、そこで働く人の身の振り方に直結する。追浜工場では多くの従業員が車をつくり、周辺には部品や物流を担う関連企業が集まる。日産は従業員に2027年度末まで同工場での勤務を続けてもらうとした上で、2025年7月18日、その後の雇用や配置をめぐって労働組合と翌週から正式な協議に入ると発表した。国内組立工場の閉鎖に踏み込んだ座間・村山のときと同じく、削減をどう円滑に運ぶかが問われた[8]

結果

巨額赤字のなかの黒字化計画

計画の初年度は、深い赤字のなかで明けた。2026年3月期、日産の連結最終損益は5330億円の赤字となり、2期続けての巨額赤字を記録した。工場統廃合や人員削減に伴う費用が損益を押し下げたためで、売上高も前の期を下回った。ただ、リストラの効果を織り込む2027年3月期については、日産は連結最終損益が200億円の黒字に転じる見通しを示した。売上高は前期比8%増の13兆円を見込む。量を追わずに費用を削る再建が、ようやく数字の上で黒字の輪郭を描き始めた[9]

出典・参考