石原俊
日産自動車・元取締役社長
社長就任までの出自
出自
1937年に日産自動車へ入り、1948年に企画部長、1949年に経理部長を務めた。1954年に取締役、1963年に常務取締役、1969年1月に専務取締役、1973年に取締役副社長へ進んでいる。専務取締役だった1971年には証券アナリストジャーナルに日産の現状と将来を寄せ、同年1月から7月までの対米輸出が乗用車15万3672台・トラック4万5517台にのぼることを挙げた。企画・経理から輸出まで、数字で会社を見てきた畑である。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1977年6月、岩越忠恕氏の後任として社長に就任した。就任前年度にあたる1977年3月期の売上高は2兆246億円、経常利益1518億円で、業績は伸びていた。就任早々に"国内シェア30%奪回"の旗をかかげ、全国を行脚してディーラーの経営者と膝をつき合わせている。輸出で稼ぐ会社の弱みが国内販売にあることを、交代の主題に据えた就任だった。
在任中の主な施策
施策
第2次石油危機のあと日本車の輸出が急増すると通商摩擦を招き、欧米先進諸国は一斉に保護貿易へ走った。完成車の輸出で伸ばす道が細るなか、日産は現地生産へ転じ、1980年1月にスペインのモトール・イベリカへ資本参加し、同年7月には米国日産自動車製造会社を設立した。1984年2月には英国日産自動車製造会社を設立している。国内の空洞化を警戒する自動車労連はこれを容認せず、発表が唐突だったことから役員間にも亀裂が生じ、労使の対立は英国問題で頂点に達した。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1912〜1985年
在任中の業績
就任前(FY76)20,246億円
退任時-
変化-
就任前-
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