日産自動車の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

規模を先に決め、資本と設備をあとから合わせてきた。1966年8月にはプリンス自動車工業と合併し、スカイラインと村山工場を取り込んで国内2位の陣容を整えた。1984年2月には完成車輸出の限界を破るため英国サンダーランドでの現地生産を決断し、労働組合との対立を越えて実行する。しかし積み上がった国内の生産能力は、1993年2月に座間工場の車両生産を中止すると発表し1995年3月に生産を終えて減量へ転じても解けなかった。1999年3月にルノーの出資を受け入れ、同年10月の日産リバイバルプランで国内5工場の閉鎖と約2万1,000名の削減を含む1兆円のコスト削減を実行する。その規律を持ち込んだ当人は2018年11月に報酬の不記載で逮捕され会長職を解かれ、外から入れた統治そのものが途中で崩れた。

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