追浜工場を新設・乗用車専門工場
ブルーバードの販売好調と生産能力の不足
日産自動車は1959年7月にダットサンのモデルチェンジ車種として乗用車「ダットサンブルーバード」を発表した。当初の生産計画では月産2,000台(年産2.4万台)を予定していたが、販売が想定を上回る好調な推移を見せ、既存の吉原工場(静岡県)における生産設備では増産対応が困難な状況に陥りつつあった。 加えて、競合のトヨタ自動車が1959年に乗用車専用工場として元町工場(愛知県)を新設し、乗用車への集中投資を本格化していた。元町工場の稼働によってトヨタは乗用車の生産能力を大幅に拡大しており、日産自動車としても乗用車の量産体制を強化しなければ、国内シェア競争でさらに後手に回るリスクがあった。 1960年代初頭の国内乗用車市場は急速に拡大しており、量産によるコストダウンが競争力の源泉となっていた。日産自動車は乗用車の増産に対応するため、新たな専門工場の建設が不可避であると判断した。
追浜地区での乗用車専門工場の新設
1958年に日産自動車は、旧海軍の追浜基地跡地(神奈川県横須賀市)の国有地について買収を決定した。選定理由は、主力工場である横浜工場に近接すること、約30万坪(約100万㎡)の広大な敷地面積を確保できること、埋め立てにより20〜30万坪の拡張が可能であること、海岸に面した立地が輸出拠点として有利であることが決め手となった。 1962年3月23日に日産自動車は追浜工場を稼働した。同社として初の「乗用車専門工場」であり、稼働時の年間生産能力は12万台とした。工場の従業員については、それまで乗用車生産を担っていた吉原工場から826名の配置転換によって確保した。 追浜工場への生産移管に伴い、吉原工場(静岡県)は乗用車の生産を終了して部品工場へと転換された。トランスミッションやステアリングの生産拠点として活用され、のちにフォードとの合弁会社の拠点を経て、現在はジャトコの富士工場(本社)として機能している。
ワシントン輸出入銀行からの借款による設備投資
追浜工場の総投資額は139億円に及び、国内銀行からの借入や自己資金だけでは調達が困難であった。そこで、日産自動車は1959年から1961年にかけてワシントン輸出入銀行から合計1,400万ドル(約50億円)の借入を実施し、米国からの資金調達によって設備投資に充当した。 ワシントン輸出入銀行からの借款を活用して、追浜工場には34台のプレス機をはじめとする新鋭設備を導入。自動化および合理化された乗用車専門工場として、国内最高水準の生産効率を実現した。 追浜工場の稼働により、日産自動車はブルーバードの増産体制を確立し、トヨタ自動車に対抗しうる乗用車の量産基盤を構築した。同工場はのちに日産の国内主力工場として長期にわたって稼働し、日産の乗用車事業を支える中核拠点となった。